きょうのきょう(おおつごもり)
別に大晦日に降っちゃいけないわけじゃないけどさ。
9時頃外を見た時はどんより曇っているだけで雪はおろか雨すら降っていなかったのに、40分後には降りしきって積もり始めていた。いつの間に? 粉雪になったり牡丹雪になったり強く弱く時には吹雪いて18時前頃までずっと降っていた。これだけ真剣に降り続いたのは何年ぶりだろう。
雪が降ったら金閣、銀閣、清水寺、と思ってはいたもののあまりの寒さに体が動かない。朝から雪で、勇んで出かけたものの目的地に着く頃には止んでいたり融け始めていたりして、絵にならず騙されたみたいな降り方の雪がここ何年か続いていたのもトラウマ。買い出しを一日繰り上げて終えていたので今更外に出るのもなぁという思いと、なんやかや家での雑用が残っているのでほっつき歩いているわけにもいかないしなぁという思いも。と言い訳ブツブツ。
もう一回普通の日にドカ雪来ないかなぁ。
去年の試作の改良(になってるかどうか)の記録。実際にはこの倍量で作成した。ゴボウの量で規格化して記録しておく。
味の保証はしない。私の為の備忘録なので真似しないように。
<以下、去年の記事に加筆再録>
私にとって数少ないお袋の味。特製叩きゴボウ。山椒でひりひり辛い。「ヒーヒー言わせたる」なおせち料理。レシピが遺されていないので、適当に再現。
味の保証はしない。私の為の備忘録なので真似しないように。
【材料】
○ゴボウ
土ゴボウ:1束(2~3本)(*3)
「黒門市場でこの時期(年末)にしか売ってない特別なゴボウ」を使うそうだが、詳細は不明。
○酢酸(食用酢でok):少々
○醤油:100cc → 150cc
○味醂:100cc → 150cc
○料理酒:100cc → 150cc
○昆布だし汁:100cc(*1) → 100cc (今回は水にしてしまった)
○実山椒:50g+α → 約63g(*2)+α (125gくらいあると良いかも)
【手順】
①ゴボウを洗い皮を剥く
皮を剥いたら10cm程度の長さに切っておく。
切ったものは希酢酸水溶液に浸して晒す。
②水で煮る
たっぷりの希酢酸水溶液でゴボウを煮る。
沸騰してから4~5分煮続ける。
煮終わったらゴボウを取り出して室温まで冷ます。
③叩く
冷ましたゴボウを包丁の背かすりこぎで軽く叩く。
皮が割れ中身がへしゃげる程度、味をしみこませやすくする。
太いものは縦に二つに切っておく。
④漬け汁を調合
①~③の合間に漬け汁を調合する。
醤油150cc、味醂150cc、酒150cc、実山椒63gを混ぜて煮る。
煮立ったらしばらく煮続け、その後室温程度まで冷ます。
⑤漬け込む
④の漬け汁に①~③で調製したゴボウを漬ける。
好みに応じて実山椒を追加する。
数時間で味が染みてくる。冷蔵庫で1週間程度ならもつようだ。
漬け汁の調味料の比率は0次近似のまま。摂動は加えていない。去年も造ったのだが、年に1回しか作らないのでフィードバックがかからず進化しないのが難点。
(*1):2番漬けの際に追加してみた。醤油味が勝ちすぎていたのがマイルドになったのでこの方がよいかと。
(*2):実山椒はこの倍くらい入れても良いかも。この配合ではかなり薄い。それか、発味の良い山椒を吟味して用意する? 毎年春に買ったものを冷凍保存して使っているので気が抜けちゃってるのか?
(*3):ゴボウの量に比例して漬け汁を増やす。消費量的にはこの倍程度が適量かと。
最後の買い出しは大晦日に、と思っていたら明日は雪の予報。今日も今日とて昼過ぎには雨の予報。午前中に出かけたのにもう降り出しているというのは如何なものか。
○錦市場
昨日に輪をかけて混んでいる。八幡巻、りゅうひ巻(求肥巻、竜飛巻、龍皮巻、未肥巻?)、棒鱈(のtitan)あたりがポイントかな。
明石の蛸にここで遭遇するとは思わなかった。
雑踏の(?)取材にTV局。毎年見かける気がするが今年は関テレ8チャンネルですな。晩のニュースで映像が流されるのだろうか?
○デパ地下
ここでもおせちフェア。模様入りの蒲鉾はどこでも見かけるけど、蒲鉾の鯛はなかなか。砂糖の鯛はお盆に飾りますな。富山の名産に飾り蒲鉾があったような気もする。
○街角
というか、松飾り。門松の簡略形だろうか、松の幼木を根こそぎ飾っている家が何軒かある。実家も独立してからも集合住宅にしか住んだことがないので、この手の風習には疎い。
注連縄を飾っているのはオーソドックスだが、クリスマスモールならぬ迎春モールなんてのもあるようで。
だんだん押し迫ってきた年末。
○錦市場
例によって混んでる。昼過ぎから時間が遅くなるに従って混み方が激しくなる感じ。総菜や食材は無論のこと、お飾りから祝い箸まであれこれ揃う。
でかいリュックを背負ったヒトや、乳母車を押すヒト、スーツケースを引きずるヒトなど、何をしに来たの?って感じもあるけれど、全部飲み込んで京の台所。
見慣れた定番の食材に混じって、正月用の飾り食材もあちこちに。興味津々なのだが、こったおせち料理は作らないので出番がない。
というかどう使ったものか判らない。判らないと言えば、[しのだ巻き」ってのは年中あるの?全国版?去年「しのだそば」ってのが売られているのを見て不思議だった。
店の人に「しのだって何?」と訊いたら応えに窮してたな。総菜屋では綺麗な和菓子が売られている、と思ったら「もち」だそうで。雑煮に入れるのだろうか?
○寺町京極、新京極
寺町京極のアーケード飾りが卯年になっている。新京極も迎春。と、五色旗は仏様の旗でしたっけ? 新京極は京の極楽だそうで。
昨日一昨日と続いた寒さがちょっとマシになったまと思ったら一雨。
昨日は知恩院に3時間近くいた間に凍えそうになっていた。撮影した動画をココログに載せようと思っていじっていたが1MB以下にはなかなかならない。解像度を下げると容量は減るが、何だか判らない映像になる。動画共有用の機能もあるようだが、ファイルが自分の管理を外れるようなので敬遠。
ファイルは自サイトに置くことにして、画像と同じようなロゴ(ウオーターマークというらしい)を付けようとして四苦八苦。あれこれ手持ちのソフトを駆使してみたがうまくない。有料のソフトなら簡単にできるようだが、フリーだとなかなかない。丸一日あれこれ探したり試したりしてようやくぴたりのソフトを発見。
動画のファイル形式も無数にあるようで、なかなか思ったようには変換できない、というか変換が必要だったりなかったり、わけわかめ。
画像は近所のホテルの門松。昼に通りかかったらちょうどトラックで運んできて設置作業をしていた。今年も後3日。年賀状は印刷したままで止まってるし、大掃除は絶望的かも。あぁ。
クリスマスが終わって新年へ向かってまっしぐら。
○祇園の福玉
朝日新聞のWeb記事によると、『年末のあいさつ回りに来る芸舞妓(げいまいこ)たちに、1年の仕事の褒美としてお茶屋などが渡していたもの』だそうだ。『直径約20センチの紅白の玉は厚さ約1.5ミリの餅皮でできている。中身は異なり、新年の干支(えと)の置物や宝船、七福神などが入っている』とか。
○四条通
先日までクリスマスモールだったアーケードの飾りが新年になっている。クリスマスの時は4種類あったのに新年は2種類みたい。
iWisoft Free Video Converterで動画ファイルを開き、Edit画面のLogoタグでウオーターマーク用の画像ファイルを指定する。ウオーターマークを置く位置と透過率を設定してOKすればok。透過gifならちゃんと透過してくれる。但し、起動時にブラウザが立ち上がって関連サイトを表示するのが鬱陶しい。
使い方についてはこちらのサイトが詳しい。
因みに静止画にウオーターマークを付けるのはFastStone Photo Resizerでできる。使用しているのはVersion2.2。(最新版Version3.0の機能は未確認。)
大晦日を前に、知恩院の鐘の試し撞きをするという。この鐘、日本三大梵鐘の1つで、寛永13年(1636年)に造られた高さ約3.3m、口径約2.8m、厚さ約30cm、重さ約70tというスケール。鐘楼も「大鐘楼」と銘打たれている。
撞く時も撞木に結ばれた綱を引っ張って放すという原理は変わらないものの、撞木には親綱1本と小綱16本の計17本の綱が取り付けられいて17人の僧侶が息を合わせて撞く。撞木を何回もスイングさせて振巾を増し、いよいよと言う時に親綱を持つ僧侶が
「えーい。ひとーーつ。」と声をかけると、16人が「えーい。ひとーーつ。そーーれーーー。」と応えて撞く。親綱を持った僧侶は鐘に向かって撞木をぶつける為に綱にぶら下がるようにダイブする。静かなイメージの除夜とは異なるダイナミック。「ゴーン」。
鐘を撞くのは総勢何人だろう。17名以外に何人か待機していてローテーションしているようだ。鐘を撞き始める前と後に梵鐘の周りで円陣を作って念仏を唱える。次いで注意事項を告知する。曰く「①鐘を撞く時は腕時計を外す。②当日(大晦日)は剃髪で来る。」。試し撞きの「試し」は鐘や撞木の状況だけじゃなく、撞き手の僧侶の訓練でもあるようだ。 撞き手が変わるたびに、
指導係と思しき僧侶から説明を受ける。椅子に座った重鎮はビデオカメラで撮影している。後で反省会かなにかをやって注意されちゃったりするのだろうか?
試し撞きの開始は14時。30分ほど前には大鐘楼の周りには人が集まっていて鐘楼際には寄れない。前の方にいながら脚立に乗る人、三脚を手持ちで延ばしてカメラを掲げる人と様々。延々2時間近く撞いているので後半になると人もまばらとなり苦もなく眺められるようになった。撞いているところだけ見られればいいのなら1時間後くらいに行くのも手かも。
大鐘楼の周りで配られていた総本山知恩院の説明書の抜粋。
◎百八煩悩の数え方(一例)
「眼・声・鼻・舌・身・意」(げん・に・び・ぜつ・しん・い)といった迷いを起こさせる6つの感覚(六根(ろっこん)) × 好・悪・平(こう・あく・へい)の三種(良い・悪い・どちらとも言い難い)「色・声・香・味・触・法」(しき・しょう・こう・み・しょく・ほう)といった離しがたい6つの感情(六塵(ろくじん)) × 苦・楽・捨(く・らく・しゃ)の三受(さんじゅ)(苦しい・楽しい・どちらとも言い難い)
六根×三種+六塵×三受 〔6×3+6×3〕 =36の煩悩があり
この36の煩悩が、過去・現在・未来(三世)にわたって生じると考えられているので36×3=108の煩悩になるとされる説があります。
◆2010年大晦日 除夜の鐘
「ゆく年 くる年」(NHK)で中継されます。
言うまいと思えど今日の寒さかな。
朝、近所のスーパーに行くと、精肉コーナーの棚一杯に骨付き鶏もも肉が「半額」のシールを貼られて山積みになっていた。ケーキの投げ売りは聞くが、鶏も同じ運命を辿るのか。と感慨にふけっていたら、レジの横には「クリスマスブーツ半額」の貼り紙。店の入り口には注連飾り用品が並んでいる。季節が移ろっていく時の音を聞いたような気がした。
新京極商店街はセールの真っ最中。最後に行ったのは昨日だけど、こちらはたぶん名目変えて今日もやってるんじゃないかな。ケンタのサンダースも出張から帰ってきた頃だろうか?
あれから1年、また1年。思惑越えてまた1年。永けりゃいいってもんではないのに。
家から徒歩20分余りの映画館で相棒Ⅱ。デジタル上映だって。家のTVですらまだアナログなのに。アナログ上映とどこが違うんでしょ?と見ていると、確かに映像が鮮明なような。アナログ版を見ていないから比較できないけど。でも、画面がちっこくない?
道々、街角の風景を撮影して帰ってきた。画像をPCに取り込もうとSDカードをスロットに差し込んだらエラー。USBカードリーダ経由でもエラー。デジカメに戻してみるとデータカードが異常ですって。(@_@;) SDカードが逝かれたらしい。静電気か? 確かに帰ってきた時バチバチ飛んでたけど、手を洗ってあれこれ触って放電済だと思ったのに。
二度目のお出かけで撮影した18枚を喪失。映画のポスターや各地の電飾だな、主に。映画館のゴミ箱に捨ててあった萬札ってのはスクープ画像だと思うんだがそれも幻。一度目のお出かけから戻った時にデータを吸い上げて置いたので被害が最小限で済んだのがせめてもの救い。バックアップはこまめに。こまめにやりすぎても破壊の機会を増やすだけだけど、痛し痒し。
誓願寺の表がやけにすっきりしている。ちょくちょく前を通っているのだが、今日になって気付いた。境内の南西隅にあった建物を取り壊したようだ。本堂から見てもすっきり、金網状の塀を通して新京極のにぎわいが見通せるようになった。
広くなった場所へ、建物の脇にあった扇塚が移動している。左が今の扇塚、右がかつての扇塚。塚自体の様子は変わらず。塚の前にいたかわいらしいお地蔵さんも一緒に移動している。しかし、いつ移動したんでしょ。
この誓願寺、大晦日には除夜の鐘も撞かせてくれるようだ。整理券配布が当日23時から。当然(?)108組限定なので、狭き門かも?
年末に天皇誕生日が、というより祭日(祝日?)があることに未だなじめないのは私だけ?
○錦市場
アーケードには国旗が下がっている。
先日巨大キャベツが置いてあった豆屋の店頭からキャベツは姿を消している。さすがに日持ちしないか。その代わり(?)巨大カボチャが。
○飛行しても飛行せん
間之町通を歩いていると上空でプロペラの音がする。軽飛行機か?と見上げる空に飛行船。上空を行ったり来たりしている。空の開けた烏丸通まで出てパチリ。
○啓蒙ウオーキング?
烏丸通を人の集団がずらずら歩いている。何百㍍かは連なっているだろうか。天長節だけあって、あちこちで街宣車が啓蒙活動(?)をしていたので、その一環かと眺めていたら、参加者が持っていた旗に「京都府ウオーキング協会」と書いてある。協会のWebによると「京の七口シリーズ③「大原口」納会ウオーク」で「叡山電鉄・八瀬比叡山口駅~花園橋~賀茂波爾(かもはに)神社「赤の宮」~葵橋~ 大原口~京都御所~護王神社~烏丸御池~JR・京都駅」と歩いてきたようだ。
○かぼちゃ供養(矢田寺)
あ゛~っ。今日だった。忘れてた。近くまで行ったのに。/(-_-;)\
終わったのは私のmova。movaのサービスは2012年3月末まで続く。FOMAに機種変した当時は覆域に不安があったので「FOMAのデュアルサービス」を契約したのだけれど、mova端末を持ち歩くことがなく無駄なので解約。ホントはもっと早く解約しても良かったのだが、何となく放置していた。ドコモのWebによると「解約は
本人確認書類mova端末とFOMAカードを持ってドコモショップに行け」という事なのだが、i-modeメニューからできてしまった。mova端末の魂は抜かなくて良いのか? 別件で立ち寄ったドコモショップの窓口嬢に尋ねると「mova端末を持って来ていただければ処置しますけど、どっちみち使えなくなってますから」って。どうでもいいらしい。
契約見直しついでに「ケータイ補償 お届けサービス」も解約しようと思ったのだが、機種変の時に3千ポイント付くそうなのでやや躊躇。10ヶ月以内に機種変するなら続けた方がお得か? 壊れたら機種変だろうし、今更5千円で今の機種が手に入ってもあんまし嬉しくない。その事も窓口嬢に話すと「生産終了している機種だと、相当する(新しい)別の機種になるかもしれない」と言う。
微妙。もっと早い時期に解約していればねぇ。
更に、プレミアステージなので「電池パック安心サポート」でバッテリをもらえることに気付いた。1年に1個くれたらしい。丸3年経ってようやく気付いた。 既に2個損してる/(-_-;)\。バッテリは予備も含めて不自由していないから、FOMA補助充電アダプタ01をもらってきた。中身はエネループ。なので、充放電管理はやや面倒。取説によると「バッテリの性能を損なわずに保管するには残量15%~5%の状態で保管しろ」とのことだ。非常用に満充電にして退蔵しておくという使い方は良くないらしい。
非常用ではなく、普段からこいつで充電しろと? 想定している運用環境が理解できん。ま、ちっこくて携帯もしやすそうだから有難く使わせて頂くことにしよう。劣化しても1年でまた新しいのをもらえる...筈がサポート条件が変わって今度からは500ポイント(円)かかるって。返す返すも気付くの遅すぎ。orz
キリシタンと聞くと長崎のイメージだが、京都にもその痕跡があるという。
○フランシスコの家(キリスト教文化資料館)
1593年に教会の修道会であるランシスコ会のルソン(フィリピン)総督からペトロ・ロパプチスタ神父以下4名がが派遣され、秀吉から妙満寺跡の土地を拝領し建てた修道院の跡に建つ教会兼資料館。当時は秀吉本人が1587年に発令した禁教令下の筈で、何故布教活動を認めるようなことをしたのかは謎。当時の敷地は堀川通に面していたらしい。今はすっかり住宅街に埋もれて、建物は町家を利用したもので内部は和風らしい。中は拝見せず。瓦が十字架。隣にはお地蔵さんの祠がある。地蔵盆には教会の関係者も参加するそうな。
○妙満寺跡碑(二十六聖人発祥の地)
その妙満寺。跡地の跡地が住宅街になっているので、石碑しか残っていない。しかもお寺の話ではなく殉教者の銘と碑の上に同居している。この地で活動していた神父、会士、信者が長崎で殉教した後、カトリック教会によって聖人に列せられた為「日本二十六聖人」と呼ばれるようになったのを顕したもの。
フランシスコの家の斜め前のビルの脇の植え込みに建てられている。ビルはテナント募集中。(かんけいない?)
○京都四条病院
妙満寺跡の石碑とは堀川通を挟んで向かい側付近にある病院。病院自体が教会と関係あるのではないようで、二十六聖人発祥の地の碑への案内板のような銘板が病院外壁に掲げられている。妙満寺跡には教会だけではなく病院を二棟も建てたそうで、その縁で近くにある病院に掲げたのかも。
○だいうす町
教会があったり信者が大勢住んでいた町をだいうす町と読んでいたらしい。「デウス(天主)町」が訛ったものとか。あちこちにあるようだが、若宮通高辻下ル付近もその一つらしい。今では普通の住宅街。菅大臣天満宮の南の鳥居に続く参道にもなっている。
○南蛮寺跡
織田信長の時代にイエズス会が布教の拠点として礼拝堂を建てたのがこの碑の北側に当たる。一旦建てられた礼拝堂は15年ほど後に建て直され、それが南蛮寺らしい。その後、豊臣秀吉がキリスト教弾圧に転じて南蛮寺も破壊されてそのまま。26年の命でした。
(2008年10月31日に掲載したもの)
○関係ないけど...
四条通のお菓子屋さんではクリスマス向けの和菓子を販売中。
和室の教会、フランシスコ教会の精神に通じる?(やっぱかんけいない?)
仁丹の広告の入った地番表示板を探す人を「ジンタニアン」と呼ぶそうだ。誰かのハンドルに似ているが関係ないだのろう。元々は全国各地にあったそうだが、今ではどんどん無くなっていって沢山残っているのは京都くらいなものらしい。
確かに街を歩いているとあちこちで見かける。ありふれていてレアものという感覚がしない。今座っている部屋の窓から外を見ると向かいの家の壁に1枚見える。広告部分がかすれてしまって判然としないが。横に回り込むともう1枚。家の場所が分かってしまうので画像は載せないよ。
大抵の地番表示板はホーロー製なのだが、木製のもある。これは京都でもレア。杉本家住宅の裏手、神田神宮に至る膏薬の辻子付近の民家の何故か2階にある。きょろきょろ探しながら歩いていても2階までは目が行かないので気付かないかも。
せっかくなのでコンプリート、とも思ったがキリがなさそうなのでしません。
綾小路通を更に進むと大原神社の前を通る。祇園祭の綾傘鉾の会所でもある。
大原神社縁由略記
祭神 伊弉册尊
相殿 八品大神
事代主大神
当神社は元丹波国から御勧請したものと云い伝えて居ります。 御祭神の伊弉冊大神は伊弉諾大神(いざなぎおおかみ)の御妃神様で天照大神の御母神に当たらせられ、 我国土を始めて御造りになり、万物の祖神をお生みになった誠に有難い神様であります。 相殿の八品大神は大国主大神の別名と云い伝えて居りまして、俗に大国様と尊称し奉り、 我国土経営にご功績のあった偉い神様でありますから、 この三神を世人は出世神・縁結び神・商売繁昌等の神様と崇め尊びその御神徳を仰ぎ奉る所以であります。
境内社として稲荷神社があります。
例 祭 十一月三日
月次祭 毎月三日
大原神社社務所
...という由緒記が神社の手水舎に掲げられていた。祇園祭の時に会所飾りを見る時以外は意識していなかったような。罰当たりですな。せっかくなのでおまいりしておいたことは言うまでもなし。
綾小路通を寺町通から歩いてくると出会う神社。
神明神社と文子天満宮が同居しているらしい。境内に置かれていたパンフには次のように書かれている。
神明神社について
豊園学区の神明町(綾小路通り・高倉から東洞院の間)に神明神社がある。
ここは平安末期、近衛天皇(約八百五十年前)が、しばしば皇居とされた藤原忠通(摂政)の屋敷跡で四条内裏または四条東洞院内裏ともいった。この邸内にあった鎮守の社が神明神社である。
天照大神を祭神としている。創建年代は明らかではないが、藤原時代から今日まで人々の崇敬の社となっている。
当社の宝物に「やじり」が二本伝わっている。社伝によると、近衛帝の時、頭は猿、尾は蛇、手足は虎の「鵺(ぬえ)」という怪獣が夜ごと空に現れ都を騒がせた。これを退治せよとの命を受けた源三位頼政は、神明社に祈願をこめ、みごとに怪獣を退治したその御礼に奉納した弓箭である。当社が厄除け・火除けの神と言われるゆえんである。この「やじり」は祭礼の時に飾られる。
藤原末期から天台宗の護国山立願寺円光院という寺となり社僧によって管理されていたが、明治初期の神仏分離によって神社だけが残され、神明町が管理の任に当たっている。昔、榎の大木があったので榎神明ともいう。
また、当社には豊園小学校内に祀られてあった文子天満宮の祭神が戦後合祀された。文子さんは北野天満宮創建の功労者である。小学校に祀られてあった頃から区民の信仰が熱い。
(中略)文子天満宮のこと
-豊園校創立百周年記念誌より-
文子天満宮は菅原道真が九州で逝去した延喜三年(九百三年)の頃以降、京都に災害が相次いで起ったので当時の人々は怨霊の祟りだと信じていた。
天慶七年(九四二年)に右京七条二坊の多治比文子(タチヒアヤコ)に「道真の霊をまつれ」との神託があり、近江の神宮と協力して今の北野神社を創建した。
天神というのは天変地異を起こす恐ろしい神であるが、学問の神として崇められるようになったのは道真が大学者であることを知った平安中期以降のことである。道真の霊が何故文子という女性にあらわれたか判らないが、文子天満宮は文子を祭ったのではなく、文子が祭った天神という意味である。
本校の文子天満宮は、明治三十年頃幼稚園と小学校の間の空地に祭られて学問の神として崇敬されていた。祭神は今なお現在神明神社に合祀されている。神明神社
北野天満宮の生みの親ゆかりの神社とはつゆ知らず。例によって通りからすぐお社で、広大な境内を誇る北野天満宮とは大違い。中は静かなんだが、周りは飲食街で目の前にも飲み屋が軒を並べている。
山陽本線の東から二番目の駅。和田岬線の起点の駅でもある。1888年(明治21年)開業。
外観はなんて事もないのっぺりした高架駅。なんだが、中にはいると妙にレトロ感。もしかしたら戦前からあるんじゃないの?という内装。そんなに昔から高架だったとは思えないが。
駅舎内を自転車で通り抜ける輩が多いらしく「降りて押せ」
みたいな貼り紙が至る所にある。高架にしたなら南北の交通を妨げることもないはずなんだが? と思って周りを見ると高架下にも何やら詰まっていて自由通路にはなっていないっぽい。駅前ロータリーに面しては「車椅子専用レーン」なんてのも。
駅前通りは中央分離帯が遊歩道になっていて段葛のよう。神戸高速鉄道が山陽電鉄と阪急、阪神を結ぶ前は山陽電鉄が駅前まで来ていたそうだが、そのなごりか何かなのだろうか?
松原通東大路東入にある中華料理屋。名前からして笑う大天使の登場人物(登場熊)がテーマかと思って入ってみたのは何年か前。期待通り、熊のような大柄の店主(たぶん)がコックさんの白衣を着て出迎えてくれたので、白熊さんか、と思った。けど、店内にはクマではなくウマの写真が沢山貼ってある。どうやら競走馬のシンボリルドルフが由来らしい。
以来何度か寄っているのだが、それ以上に飯時に通りかかるのが定休日に当たることが多くて、ごくたまにしか食事できずにいた。今日、今年の漢字を見た帰りに立ち寄ってみると閉まっている。定休日は水曜だったような? 定休日でも看板とメニューは外に出しっぱなしだったような? まさか、閉店? 壁面の看板とかは残っているから大丈夫だよねぇ?
六甲山の一部を崩した土で神戸港の一角を埋め立てて造られたポートアイランド。源平の合戦の舞台になった一ノ谷だか鵯越だかのあたりを切り崩した土だと聞いたような気がするんだが、本当だろうか? 私が子供の頃には電車に乗っていると須磨の先あたりで山から土をパイプライン(?)で運んできて船積みする海上施設が海岸から伸びているのが見えたものだ。私の学生時代に完成し、博覧会も開かれた。阪神大震災で液状化し、文字通りめちゃくちゃになり、孤立しながらも生き延びて今に至っている。防災上、生活基盤や市の基幹となる医療施設をここに置くのはどうなのかという疑問が拭えないが、あまり問題にはなっていないようだ。
その後、沖合を更に埋め立てて悪名高き神戸空港が開港している。今では単なる地方空港なのだが、当初神戸沖は関空の候補の一つだった。最終的には神戸市(兵庫県?)が騒音を嫌った為に泉州沖に決まったと記憶している。今になって、ショボイ空港を造って旅客を奪い合っているのは皮肉というか、先見の明の無さの象徴といえよう。
その人工島の公共交通機関はバスとポートライナー。モノレールでも鉄路でもなく、タイヤで路面を駆ける。世界初の無人運転システム。当初はトラブル続きで、「トラブルライナー」の異名をとっていた。無人運転システムにありがちな不具合の他に、システム起動時に設定する年月日の年を西暦で入れず年号で入れた(逆かも)為にうまく立ち上がらなかった
なんてあほみたいなトラブルもあった。
以前からあるのが「6」の字を描く路線で、上端点に当たる三宮を始終点とする左回りの一方通行な運行をしている。神戸空港が開港して三宮-空港のピストン輸送路線が増設されている。
無人運転が前提なので、先頭・後尾のギリギリまで座席があって乗り鉄には嬉しい座席配置になっている。前提は無人でも、非常時には有人で運転できるように先頭車両には運転装置が用意されている(らしい)。
タイヤで路面を蹴ることで駆動し、側壁のガイドレールを車体側面の車輪でなぞることで進行方向を制御している。電源も側面の架線(第三軌条といえるのか?)から集電靴(といえるのか?)を通して得ている。車体下部のようすは側壁に守られていてなかなか見ることができないが、駅付近に分岐がありカーブしている三宮駅の北東端あたりに行くとよく見える。
分岐点ではガイドレールを操作することで行く先を切り替える。普通の鉄路のようにガイドレールを左右にスライドさせるのではなく、路面から上げたり下げたりして操作する。
海に突き出た島を回る路線ながら、車窓はあまり海ではない。むしろ人気のない閑散とした町並みというかビル街とクレーンなどの港湾設備が目に付く。その中で、神戸空港線の神戸空港駅手前でポートアイランドから空港島へ渡る橋付近からは明石海峡大橋を望むことができる。
ルミナリエの会場にあるモニュメント、というより。このモニュメントへの途でルミナリエを開催しているというべきか。
煉瓦外装の半地下通路の壁面に犠牲者の名前が掲示されている。平和の礎みたいなもんか。掲示されている名前は二種類に分かれていて、
大きな銀色の板にエッチングされた名前が通路に、一人一人小さな板に彫られた名前がドームに。違いが判然としないが、説明書きから推測すると神戸市内の犠牲者を無条件大きな板に掲載し、市外の犠牲者は希望者のみ小さな板に彫って随時追加していくということらしい。大きな板には企業名(団体名?)も載せられているのは謎。
NHK神戸放送局は被災後建て直されてすっかり様子が変わっている。中にはその瞬間の時計と当時何度も繰り返し放送された被災した瞬間の局内の様子の写真が掲示されている。
昨日の晩に帰っています。神戸空港からじゃないですよ。ケータイからでは載せきれなかった神戸。
○神戸高速鉄道
三宮を歩き回ったのは何年ぶりだろう、震災で変わったところと変わってないところと。宿は三宮の先。最寄り駅は私鉄の大開とJRの兵庫。その手前の高速神戸駅では阪神電車と阪急電車が交錯する。阪急の車両越しに隣の駅の阪神電車が見える。
○鉄人ストリート
新長田駅のそばに立つ(建つ?)鉄人28号。街にすっかりとけ込んでいる、のかどうか。JRの駅を出ると目の前に鉄人へ道案内看板が立っている。
道順に添って何カ所にも。地下鉄の駅の駅名表示板には「鉄人28号前」との副駅名(?)が添えてある。
案内板に従って進むと商店街に出る。通りの名前が「鉄人ストリート」。街灯のフード(?)も鉄人の頭。アーケードの先にひょっこり鉄人が現れる。
鉄人のケツの穴は小さい。排泄穴ではなく、気圧調整用だろうから口、なんだろうけど。背中に背負ったブースターは真下に噴出するようになっているっぽい。ジンバル機構はあるのだろうか? そのまま真っ直ぐ吹いたらモーメントかかって前回りしそうだけど大丈夫か?
○ポートタワー
タワー入り口には定番(?)の顔出し写真板。見ている間にも家族連れが撮影していた。子供の方は顔を傾けないと収まりが悪そうだが、ちゃんとした?
タワーの回りもタワーだらけ。街灯にガードポール。探せば他にもありそう。
「スカイラウンジ空と海」は床が回る。約20分で1回転。円環状の床とテーブルだけが回る。周りの壁は動かないので触ってはいけない。厨房は真ん中の回らない部分にある。ガチャガチャうるさいのは嫌なので厨房から離れた席に座ったのに、カフェオレ飲んでるうちに向こうから回ってきた。回ってるのは私の方だけど。
「スカイウオーク」は床がシースルー。丈夫なガラスだかプラスチックだかをはめてある。だけじゃなく、時々不透明になる。液晶シャッターを挟んであるようだ。
タワーからは神戸港と六甲山が一望できる。神戸の街は、高層ビルが多くて見通しが効かない。
○モザイク
ポートタワーの隣、というか対岸はモザイク。単なる商店街だけど、結構人気。結婚式の撮影をしていたのはホンモノか、雑誌用か? お寺で豆をまくと鳩か烏が寄ってくるけど、ここでは鴎。さすが港町。
○ルミナリエ
平日なのにかなりな人出。元町駅のそばからうねうねと数百メートルつづら折りの行列を形成して会場に至る。開始時間直後は混むから遅めに来いとアナウンスに従って1時間以上遅く着いても行列。渋滞してなかったのがせめてもか。
会場の入り口部分には光の回廊。とっても綺麗なのだが、信号機のシルエットが邪魔をする。さすがに消灯してあるけれど、くっきり浮かび上がる。祇園祭の時の四条通みたいに回転しないのね。灯りはLEDではなく電球らしい。常設で点灯してるわけじゃないからね。
会場の奥には光の砦。ぐるっと光の壁が取り囲む。柱一本一本にスポンサーの銘板が貼り付けてある。砦の上空に張り巡らされたワイヤーには何かの意味があると聞いたような気がするんだが、忘れた。
会場の隣の神戸市役所は24階の展望ロビーを夜間開放している。上から見下ろすルミナリエも見逃してはいけない。上から見る光の砦はティアラのよう。
○和田岬線
兵庫駅から伸びた盲腸線。朝夕だけの運転。終点というか兵庫駅以外の唯一の駅の和田岬駅は地下鉄に連絡している。朝の最後の電車で往復したけど車両の長さの割にはガラガラだった。路線的には風前の灯火のような気もするけどどうなんでしょ?
和田岬駅は無人駅。だからといって電車がワンマン運転しているわけではない。終点の和田岬駅にあるべき券売機と改札機は始発の兵庫駅にある。兵庫駅で切符を買って機嫌良く改札を入り、和田岬線ホームへの道を進むと、ホーム手前に改札機が現れる。???と思いつつ切符を投入すると飲み込んだまま返してくれない。(@_@;) 焦って駅員に尋ねると「和田岬は無人駅なのでここで切符を回収します」って。
右上の画像は駅の外、ではなく兵庫駅の和田岬線のホームの端。和田岬から乗ると手ぶらで乗って乗り終わってから切符を買って、仮想的な和田岬駅の改札を入り(気分的には出る、のだが)兵庫駅の構内を通って兵庫駅のリアルな改札を再び通って娑婆に出る事になる。無人駅ってこういうもんだっけか?
○神戸空港
昼前に着いた時には見える範囲に飛行機はおらず、出発ラウンジも閑散としていた。典型的な失敗地方空港かと思ったのだが、到着分の案内を見ていると結構な本数が飛んでくるようだ。着いては飛び立ち着いては飛び立ちしているのだろうか?
何故かクリスマスツリーの人気投票をやっている。私的にはこの「Q」の「はらぺこコックさん」がダントツ一位なんだけど、如何? 投票には連絡先必須だったので投票せず。結果がネットで発表されたりしないかな。
電子広告板は半透明で裏からも見える。かと思ったが、裏から見ると裏返し。当たり前だけど、これって使えるのか? 幟とかと同じか。
コーベアー。駄洒落のくまさん? この子はメジャーですか?
兵庫駅と和田岬駅を結ぶ一駅数分の路線。昼間は運転しておらず、朝夕のみ。和田岬駅周辺の工場の通勤用らしい。
和田岬駅は無人駅で兵庫駅から乗車する前に更に改札があって切符を回収されます。以前は駅舎があって駅員も常駐していたそうな。電化前は前後に気動車を付けてピストン輸送していたと車掌さんが教えてくれました。
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ichi@ケータイ。
朝からほぼ快晴。そろそろ紅葉も終わりだし、休日に晴れてもなぁ。この週末には黄砂が来るという予報だったが、どうだったのだろう? 青空が少し白んでいたような気もするが、山は見ていないので不明。
先日買った醤油のキャップが片手で開けられるタイプになっていた。買い置き用でまだ開封していないので未確認だけど。料理酒、味醂、酢、油(サラダ油、胡麻油、オリーブオイル)が全て片手で開けられるタイプなのに醤油だけはネジ式で両手を使わないと開けられず不便だった。これからはこのタイプがトレンドになるのだろうか? あとは、ソースがネジ式だったな。
Iさんから急遽、柚子と干し柿が届く。箱を開けると部屋に柚子の香りが漂う。薬味として皮を使うだけではもったいないので実も使いたいなとレシピを探る。取り敢えず一個出して置いて香りを嗅ぐだけでも幸せな気分。
株式市況じゃないです。今月に入って見かけたもの。
○錦市場
目新しくはないけど、前を通るたびに気になるもの。
その1、総菜屋のチョコレートコロッケ。観光案内的には有名らしい。分類上は下手物に属すると思うが、評判がいいようで。まだ食べたことはないけど、京都にいる間に一度食べておくべきか?
その2、串刺し魚。観光客が食べ歩きするのを当て込んで魚屋が販売。鮮魚だけじゃなく、焼き魚とかも売っている店なので、路線的には正しいかと。買って帰って食べるにはオタか目なので縁日の屋台気分で召し上がれ。屋台で生ものを売ることはできない(筈な)ので、希少性は屋台以上かも。
その3、巨大キャベツ。これは最近だけなのかも。何故か豆屋さん(たぶん)の店頭に置いてある。売り物ではない。巨大南瓜は良く話題になるけど、キャベツは見たことある?
○新京極
アクセサリー屋の看板娘ならぬ看板熊。と京都花月跡のモンベルにいる招き熊。ケンタのカーネルおじさん以上にちゃんと装ってる。
○フレスコ
近所のスーパーでは鏡餅の特集コーナーができている。この週末には二割引セールなんてのもやっていたようで。はて、いつ買おうかな?
先月のTVニュースで東本願寺の梵鐘が新しくなったと報じていた。先日の紅葉採集ついでに確認。
親鸞聖人七百五十回大遠忌法要を前に境内の再開発(整備)が行われている。御影堂の修復が終わって今は阿弥陀堂が工事用の素屋根に覆われている。それだけじゃなく、参拝者の休憩所を兼ねていた総合案内所がリニューアルされて「御遠忌法本部事務室」兼「団体参拝受け入れセンター」になっている。休憩所は以前守衛所(たぶん)があった付近の簡素な建物に移ってしまった。
中にはベンチと飲料の自販機が並んでいるだけ。総合案内所時代あった無料の給茶器とかはない。ま、お茶は参拝者接待所に行けば頂けるど。
で、新休憩所の裏手に鐘楼がある。此の付近も整備されたようで、更地になって妙にすっきりしている。以前はもっとごちゃごちゃしていたような気がするんだが? まだ整備の途中なのかな? 鐘楼の階段には「KEEP OUT」と書いてあって立入禁止。
遠くから眺める梵鐘は黒光りしていて如何にも新しい。撞木もまだ白木状態。鐘楼の木の枯れ具合との対比がおもしろい。
古い梵鐘は阿弥陀堂の素屋根の下に安置されている。緑青をまとってこちらの方がありがたみがある感じ。
鋳造:1604(慶長9)年5月28日
吊下:1604(慶長9)年6月6日
撞初:1604(慶長9)年6月7日
制作:鋳物師大工淨徳
仕様:総高 256㎝ 口径 156㎝
総重量 3800㎏
絵柄・銘文
左向鳳凰(上部) 本願寺(下部)
右向飛天(上部) 信淨院[教如上人](下部)
右向鳳凰(上部) 慶長九甲辰暦(下部)
左向飛天(上部) 五月廿八日(下部)
縦帯下部 大工大坂淨徳
鐘身内面 慶長九甲辰年 大坂大工淨徳 五月廿八日
更に新しいキャラクターを発見。「あかほんくん」というらし。入試とは関係なさげ。「こども御遠忌キャラクター」の「蓮ちゃん」「鸞恩くん」「あかほんくん」のトリオだとか。
ようやく12月になってクリスマスが近づいたと言う実感が...、まだ起きないな。それでも他にイベントがないせいか街にはクリスマス気分が溢れている。昨日、一昨日に見た風景。
○新京極
サンタと巨大な雪が宙を飛ぶ。サンタが乗っているのはソリではなくケーキなのかも? サンタではなく、サンタのお菓子
?
ろっくんプラザにはツリーもどき。と、浮き輪。...じゃないな。モールか?
○寺町通(寺町京極)
こちらは夜光る、らしいっぽい。ルミナリエの真似か? それとも今は亡きミレナリオ?
○四条通
アーケードの下にモール。北側と南側それぞれ西半分と東半分でデザインが違う。去年と同じデザインなような、気のせい? モール自体を使い回しているのか、デザインだけ継承しているのかは不明。
京都中央信用金庫も独自にデコレーション。12/1に前を通りかかった時には作業中だった。翌日見てみると出来上がっている。こちらも光るタイプ。去年と同じかな。
○烏丸通
街路樹にイルミネーション。街路樹数本ごとに沿道のビルから電線が伸びる。木から木へ電線が渡って街路樹が電柱状態。ビルの外壁には屋外用のコンセントが設けてあって、設計時からやる気満々だったのか?
一日曇って昼過ぎには雨の筈が、朝から快晴。何だかだまされたような気分で、汗ばむ陽気の中を寄り道。今日は西本願寺。再来年の親鸞聖人七百五十回大遠忌法要を前に御影堂の修復を東本願寺より一足先に終えている。
京都の銀杏は東本願寺だろう、と思っていたら西本願寺にもあるらしい。一番有名なのは御影堂前の逆さ銀杏。別名水吹き銀杏。盆栽みたいに枝が横に広がって伸びている。苗木を植える時に逆さに植えたので根が枝になってこうなったという。別名は、天明の大火(1788年)の時に水を吹いて御影堂に延焼するのを防いだ、という言い伝えから。ホンマかいな?
高さ15m、枝廻り50m、樹齢約400年と言う話も。京都市の天然記念物に指定されている。
名前はないけれど、境内に生えている銀杏はもう2本ある。阿弥陀堂前の大銀杏は一見三本分くらい巾があって水吹き銀杏よりすごい
。
御影堂門脇には高く聳える大銀杏。三本揃って、西本願寺大銀杏三兄弟。姉妹なのかも? 御影堂門前から眺めると門からはみ出してる。