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2011年5月31日 (火)

山椒は小粒でいっぱいある

Cimi9649b_tn  今年も実山椒の季節がやってきた。毎年、少し買って冷凍しておく。去年は様子を見ているうちに買いそびれそうになった。ので、今年は慌てて調達。南から順に出荷されてくるそうで、先週買った時は高知産と和歌山産が売られていた。もう少し待てば京都産にも巡り会えるのだろうけど、忘れそうなので和歌山産。

Cimj0040b_tn  例年は小さなパック入りを買うんだが、去年途中で使い果たしたので、一箱買ってみた。下ごしらえ自体はあく抜きの為に茹でて水に晒すだけで簡単。だけど、実を枝から外すのが一仕事。今年はいつもの何倍も買ったのでトホホ状態。しごくようにすれば大枝からはポロポロ取れるんだけど、最末端の小さな枝は一粒一粒むしるようにしないと取れない。小さな枝は喰えるよ、と書いてあるWebもあるので、お言葉に甘えて今年は小枝は残ってもokということに。サクランボ状態だな。

Cimj0048b_tn  茹でると緑色の実が灰緑色に変わる。水に晒すが、充分に晒さないとアクが残る。だが、晒しすぎると肝心の辛さが抜けてしまう。アクの強さは実によって違うと言うから時間では計れない。結構微妙、というか適当。去年は晒しすぎたのか辛さがいまいちだった。さて、今年のできはどうでしょう?

Cimj0049b_tn  一箱で実の乾燥重量が約310g。取り払った枝の部分が約60g。あく抜きの過程で水を吸って最終収量は約420g。冷凍庫に放り込んで処理終了。

2011年5月30日 (月)

長建寺(伏見)

 伏見の十石船乗り場のそばにあるお寺。

Cimi9987b_tn Cimi9989b_tn Cimi9691b_tn  元禄12年(1699)に中書島が開拓された際に祀られた弁天様。門が竜宮城みたいだと思ったら、鐘楼は小山のよう。江戸時代には大きな鐘が下がっていたが、Cimi9694c_tn Cimi9998b_tn Cimj0016b_tn 太平洋戦争の金属供出されてしまったらしい。
 その鐘楼は今は「みくじ舎」としてセルフおみくじの売場(?)になっている。手水舎の横にはかえる石。門前の川に架かる橋の欄干は琵琶。

Cimj0005b_tn Cimj0007b_tn Cimj0006b_tn  こちらにもおまいり...。とあるので囲いに入っていくと、不動明王。前には舞殿ならぬ護摩場。ゴミを捨てる不埒な輩がいるらしい。罰当たるよね。

2011年5月29日 (日)

伏見夢百衆(サケカステラ)

Cimi9959b_tn  月桂冠大蔵記念館の隣にある喫茶店&土産物店。というか、月桂冠の旧本店を改装したお店。大正8年完成で平成5年までは実際に本店として使われていたらしい。宇治川派流というか、水路が増水して溢れても大丈夫なように1mほど土盛りして基礎を打ってある。

Cimi9973b_tn Cimi9975b_tn  記念館の外観と非常に良くマッチしていたので、施設の一部かと思っていた。中に入れそうだったのでふらふらと近づいていくと喫茶らしい。記念館の中は一休みする場所が無くて歩き疲れたので休憩。

Cimi9970b_tn Cimi9964b_tn  中にはいるとおみやげコーナーがあり、その奥が喫茶。喫茶コーナーの手前には腰高ほどの衝立と小さなブースが。まるで昔の郵便局のようだ。今はお会計ブースになっている場所がかつての応接室、喫茶コーナーは営業と経理の事務室。奥には坪庭があって町家のような風情。Cimi9971b_tn Cimi9969b_tn だけど、妙に洋風でもあり大正時代の和洋折衷感が漂ってくる。私には、奥の硝子窓が子供の頃かかりつけだった近所の医院の窓に似ていて懐かしい感じ。店の真ん中にひっそりとでかい金庫が置かれていたり、由緒が掲示してあったり、ここも記念館の一部として是非見ておくべきかと。
 店の中は広々していて落ち着く。席どうしの距離も近すぎず良い感じ。平日昼間ですいていたせいもあるのだろうけど、一日伏見を歩き回って疲れた体を癒すのにちょうどよかった。

Cimi9972b_tn Cimi9966b_tn  ここの名物(?)は酒饅頭とサケカステラ。酒饅頭は何処でもあるけど、サケカステラって?「酒粕テラ」じゃなくて「酒カステラ」だよなぁ。と、注文してみたらあっさり目のしっとりしたカステラが出てきた。エタノール臭がぷんぷんしているのかと恐る恐る口にしたがそんなことはない。下戸の私でも酔わない。むしろ、甘すぎないので上戸でもokっぽいというべきかも。これはいくらでもいけそう。と、おみやげにゲット。
 お菓子だけじゃなく、置いてある酒の種類も半端なく多い。記念館の直売コーナーより充実してるかも?

Cimi9979_stitchb_tn  店を出て記念館方向に進むと近代的なビルが現れる。こちらが二代目の月桂冠本店らしい。切妻屋根風のところが酒蔵を意識しているのだろうか? でも、木造の風情と貫禄には負けてるね。

2011年5月28日 (土)

月桂冠大倉記念館

Cimi9896b_tn Cimi9895b_tn Cimi9893b_tn  寺田屋の前の道をずっとくねくね行った先、十石船乗り場の裏手に木造の大きな建物が連なっている。そこが月桂冠大倉記念館。月桂冠創業の地だ。

Cimi9944b_tn Cimi9931b_tn Cimi9918b_tn  中は酒蔵と展示室に別れていて酒蔵の見学は要予約。展示室は随時ok。展示室では酒造の過程を昔からの道具で再現して展示している。巨大な桶やら圧搾機が並ぶ。桶は酒造過程で使うもので封しない。樽は出来上がった酒を詰める容器で封をする。

Cimi9951b_tn Cimi9952b_tn  見学すると1人1本のカップ酒が支給される。それとは別に見学コースの最後には聞き酒コーナー。日本酒だけじゃなく、ワインもあったらしい。これが目当てで来る人もいるのかも? 

Cimi9945b_tn Cimi9902b_tn  創業当時の帳場(たぶん)を再現したコーナーに「0」が七つ。「O」だっけな?倫敦の地下鉄の印みたいでもある。売り上げの表示装置かとおもったら、創業当時の紋(?)らしい。

Cimi9953b_tn Cimi9908b_tn Cimi9706b_tn  外観は時代劇に出てきそうな木造。煙突も煉瓦。川(堀?)沿いの柳並木とマッチして落ち着く風情。記念館向かいの自販機では甘酒も販売中。Cimi9926b_tn Cimi9925b_tn 意識してる?

 桶のそばにいた蛙。何故蛙なのかは不明。

2011年5月27日 (金)

きょうのまゆまろ(四条烏丸)

Cimj0032b_tn Cimj0030b_tn  時折雨がそぼ降る中、まゆまろが国民文化祭の宣伝中。けっこう人気者だ。

十石船(伏見)

Cimi9842b_tn  大坂から京に荷を運ぶ水運の要が伏見。大坂から淀川を遡り、宇治川に入る。その中継地として伏見港が開けたそうだ。宇治川に入らず鴨川を遡ればそのまま京に入れるのだが、何故か宇治川を遡ったようだ。
 伏見から伏見城の堀(濠川)や高瀬川に入ることができ、高瀬川経由で京に上ったらしい。明治になると琵琶湖疎水が開かれて琵琶湖まで遡ることもできるようになる。
Cimi9834b_tn  寺田屋もそうした水運の船宿で、宿の前は船着き場。...だったはずだが今は水路(川?堀?)との間に家が建ち並んでいる。一応、宿の向かいに当たる川岸には船着き場が再現されていて、当時を彷彿とさせる。かな?

Cimi9838b_tn Cimi9829b_tn  その水路を当時の十石船を模した遊覧船が運航されている。宇治川そのものを走るのかと思ったら、宇治川から引き込まれた水路をくねくね進む。今は街中の小さな澱んだ川という感じだが、伏見港の一部だ。
Cimi9878b_tn Cimi9882b_tn  電車の駅があり、家が建ち並ぶ土地も港の中の中洲というか島のような存在で、それらを区切るように水路が張り巡らされている。
 水路にも名前が付いていて「宇治川派流」(うじがわはりゅう)。かなり控え目な名前。

Cimi9874b_tn Cimi9844b_tn Cimi9852_stitchb_tn  水路を進むと宇治川。の筈だが、水位が上下する宇治川に影響されないように途中に閘門が設けられている。三栖閘門(みすこうもん)。パナマ運河のようだ。

2011年5月26日 (木)

寺田屋騒動址

 京へ来たなら 一度はお寄り 伏見寺田屋 坂本龍馬 昔白刃の 裏梯子

Cimi9716b_tn Cimi9711b_tn  ...だそうで。とはいっても京都からは電車で20分ほど。一応京都市だけど、別の街だ。龍馬が襲われた当時のままというふれこみだったけど、現物の寺田屋はその後焼失したという調査結果が出たりして立場的にどうなのよ、という感じだけど。史跡址みたいな感じ? 一応、焼失を報じる新聞記事が張り出されてはあった。

Cimi9767b_tn Cimi9764b_tn Cimi9759b_tn  概ね2階が客室になっていたようで、「龍馬の部屋」なんてのが残っている。ずっと借り上げていたわけではないだろうから、来たらこの部屋に通した、ってことなんだろうな。柱には弾痕が残っている。いつの弾痕なのかは不明。

Cimi9780b_tn Cimi9783b_tn Cimi9777b_tn  別の部屋には刀傷も。いつの刀傷なのかは不明。お龍さんが入浴中に捕り手を察して裸のまま駆け上がったという階段もある。風呂場の窓の外は隣の敷地(今は石碑の建つ広場)なので、写っている窓から見たのかどうか、謎。

Cimi9779b_tn Cimi9743b_tn Cimi9740b_tn  1階の玄関からは床に書かれた矢印に沿って移動する。病院みたい。至る所、座るな、開けるな、立ち入るなと貼り紙だらけ。座敷なのでちょっと座って龍馬気分でも味わえるといいのに。
 私が訪ねた時は人もまばらだったけど、入れ違いに団体90名様なんてのが来てた。平日昼間でこの有様だから休日は恐ろしげ。確かに、のんびりされたらたまらんだろうな。

Cimi9772b_tn Cimi9736b_tn Cimi9720b_tn  見学は10時から16時まで。終わるのがやけに早い。と思ったが、今も宿屋として営業しているので、夕方以降は宿泊客用と言うことらしい。ということはチェックインは早くても16時? Cimi9721b_tn Cimi9714b_tn 龍馬気分を味わうなら是非泊まっていきなはれってことか。
 隣は小さな広場になっていて、龍馬の像や石碑が建てられている。

Cimi9821b_tn Cimi9817b_tn Cimi9806b_tn  中書島駅から真っ直ぐ伸びる道が川(堀?)を渡った角を左に曲がると寺田屋。曲がらずに真っ直ぐ行くと商店街。その名も「龍馬通り商店街」。「幕末維新回廊」だそうだ。普通に商店街なのだが、シャッターも閉まっておらず活気がある。物価が安い感じ。緑茶屋のだんごと、煎餅屋のあられ(おかき?)がうまかった。

 ところで、寺田屋と池田屋と近江屋の区別が覚えられないんだが、どうしよう?(^^ゞ

2011年5月25日 (水)

きょうの梅の実(修徳公園)

Cimi9666b_tn Cimi9659b_tn  撮影したのは昨日ですけど。
 もうとっくに摘み取られているかと思ったら、まだ健在でした。丸々太ってますなぁ。

2011年5月24日 (火)

きょうの紫陽花(小田原町通)

Cimi9669c_tn Cimi9667b_tn Cimi9650c_tn  だんだん丸くなりつつある、のかな?

2011年5月23日 (月)

ナスの魔法使い。

Cimi9614b_tn  似てない?

伸びる大根葉

Cimi9354c_tn Cimi9349b_tn Cimi8993b_tn  後で料理しようと思って、切り取った大根の葉の部分を水栽培していたら、葉が伸びてつぼみが。残念乍ら開花には至らず。

2011年5月21日 (土)

フロンはPCを救う?

 この何ヶ月か我が家のイントラサーバにしているPCがほぼ常にCPU負荷100%な状態になった。温度も90℃前後で脳みそ溶けるんじゃないか?状態。2~3日でリソースを使い切るのか再起動しないと機能しなくなったり。

 ウイルス感染を疑ってスキャンするも検出せず。プロセス解析ソフトを動かしてみても疑わしいものはおらず。昨日、思い立って排気口からフロンスプレーでブロアしてみたら、CPU負荷が20%ほどに落ち、温度も50℃前後に下がった。何もいじってないのに。普段は吸気口からブロアしているのだが効果なし。排気口からブロアしたら効果覿面。
 冷却不良だったのだとしたら、温度が原因で負荷率が上がったのか? 温度で処理が変わるとも思えないから、CPUの処理能力が落ちたのだろう。分子が大きくなったのではなく、分母が小さくなって負荷率が上がった?

 最後に分解掃除したのは1年前。そろそろまた分解掃除しないとな。地球はフロンで温暖化するそうだが、PCの温暖化はフロンで防げるようだ。

2011年5月20日 (金)

きょうのエコタクシー

Cimi9596c_tnCimi8957b_tn  結構走ってるんだな。天ぷら油で走るバスなんてのもあるし。四つ葉のタクシーよりは多そう。

2011年5月19日 (木)

二条殿御池跡碑

 室町通御池通上ルにあった石碑。

Cimi9294b_tn  摂関家の一つ、二条家の邸宅がこのあたりにあったらしい。元々は二条富小路に邸宅があり、二条を名乗ったとか。室町時代にこのちに移り、大きな池のある庭園を築いた。名園の誉れ高くその様子は洛中洛外図にも載っているそうで、その池がここにあったのよ、という石碑がこれ。その後、信長に奪われ、秀吉に追われ、何度か転居したらしいCimi9293b_tn 。追われた、奪われたといってもちゃんと代替地を与えられて豪勢な邸宅庭園を築いたそうなので心配は無用のようだ。

 京都の町を歩いていると、この手の石碑がひょこひょこと見つかる。歴史に疎いワタシには謎だらけ。

2011年5月18日 (水)

おりんちゃん(門前町イメージマスコット)

Cimi9458b_tn  先日、西本願寺に向かって正面通を歩いていると異様な集団が登場。金色の雪だるま? いや、「おりんちゃん」だ。逃亡者ではない。仏壇でおまいりする時にち~んと鳴らす「鈴(りん)」らしい。頭が「鈴」、胴体が「りん布団」、手には「りん棒」。

Cimi9597b_tn Cimi9460b_tn  前に回って撮影しようとすると、先導者(?)が、「はい、そこで立ち止まって、ポーズ」と声をかける。と、リン棒で頭を叩いて足を出す。同時に頭の奥からチーンと音が聞こえる。彼(彼女?)の決めポーズらしい。リン棒は頭を下にして軽く叩くのが正式だそうだが、この場合は無理か。

2011年5月17日 (火)

きょうの紫陽花(小田原町通)

Cimi9599c_tn Cimi9601b_tn Cimi9603c_tn  だんだん大きくなってきた。

ヒョウダス

Cimi9608c_tn Cimi9606c_tn  朝から薄曇りで時折陽が差す。空気は爽やかだけど陽射しがねっとり暑苦しい。と、昼過ぎにどんより雲が立ちこめて雷が鳴り出す。一雨来るかなと見上げた空から雨。そのうちバリバリと音を立て始める。雹だ。ほんの数分で雨に戻り、積もることもなく過ぎていった。直径5mmもなかったような。

2011年5月16日 (月)

新撰組屯所跡

 壬生寺には何回か行ったのだが、その手前の屯所跡は前を素通りするだけだった。屯所跡の前にある和菓子屋さんには屯所餅なる大福風の餅がある。それよりなにより、鶏卵素麺を売っているのが京都では貴重なお店。で、島原の帰りにちょっと覗いてみる。鶏卵素麺じゃなくて屯所跡。
 駐屯していたのは八木邸と前川邸他近隣の農家。当時は周囲は何もなく(農地だった?)、八木邸から二条城が見通せたそうだ。

○八木家住宅
Cimi9589c_tn Cimi9590b_tn Cimi9588b_tn  和菓子屋さんの奥の町家。というか、和菓子屋さんが八木さんなのかも。
 拝見券を買って中に入いるとガイドさんが解説してくれる。和室が4室に台所を兼ねた通り庭。内装は手入れしてあるが、殆どの柱と天井板は屯所時代のままだそうだ。奥の和室で芹沢鴨以下隊士が暗殺されて、血糊がべったり付いていて、天井にも…と淡々とした口調で語る話は怪談向きかも。鴨居に残る刀傷同様、天井には今も血痕が残っていることになる。ルミノール検査したくなったのは私だけではあるまい。

○旧前川邸
Cimi9579b_tn Cimi9583b_tn Cimi9584b_tn  八木家住宅の斜め前に位置する。今では民家というか民間企業の工場になっているようだ。そばを通りかかると人だかりがしていることが何度かあったので、公開しているのかと思ったら、非公開だった。

○太鼓楼(西本願寺)
Cimi1742c_tn  因みに、西本願寺にある太鼓楼と北集会所にも駐屯していたとか。当時の宿舎は太鼓楼を遺すのみで、北集会所があったと思われる付近にはブックセンターが入る安穏殿が建っている。太鼓楼の中を拝見できないか、西本願寺に尋ねてみたが、「中は倉庫として使っているのでお見せできない」とのこと。外観は見学自由。
 画像は去年の秋の太鼓楼(手前)と安穏殿(奥)。

京都島原

 京都にもあったという遊郭、西本願寺に行ったついでに足を延ばして島原。

Cimi9475b_tn  西本願寺の北辺の通りが花屋町通(はなやちょうどおり)。クランクに折れ曲がりながら西へ西へと進むと、島原の玄関大門(おおもん)へたどり着く。途中にある島原商店街は古い町家が所々残り、徐々にタイムスリップしていく感じ。商店街の街灯の看板が向かって右側は「嶋原商店街」なのに左側が「街店商原嶋」なのは対称性にこだわったからか?
 島原というと以前九州放浪で訪ねた島原を思い出す。京都とは結びつかないのだけど、なんで?と思っていたら、大門脇の駒札に由緒書きがあった。移転のどたばたを島原の乱になぞらえたらしい。

島原(しまばら)
 豊臣秀吉が京都を再興するに当たり、二条柳馬場に柳町も花街を公許したが、これが後に六条通坊門(現在の東本願寺の北側)に移され、六条三筋町として栄えた。その後、今日の町の発展に伴い、寛永18年(1641)、市街地の西に当たる当時の朱雀野に移った。正式名称は西新屋敷と呼んだが、その急な移転騒動が、時あたかも九州島原の乱の直後であったため、それになぞらえて島原と称されるようになった。
 島原の傾城(遊宴のもてなしを公認された女性)の最高位である太夫の名称は、慶長年間、四条河原で六条三筋町の傾城が女歌舞伎を催したとき、優れた傾城を「太夫」と呼んだことが始まりとされている。太夫道中は置屋から揚屋へ練り歩く様子をいう。
 また、江戸時代の島原は単に遊宴にとどまらず詩歌連俳等の文芸が盛んで、中でも俳諧は島原俳壇が形成されるほど活況を呈していた。
  京都市

大門
Cimi9568b_tn Cimi9490b_tn  最後のクランクを曲がって現れるのは寺院のような門。何かの本堂が現れそうな風景なのだが、門の向こうにも普通の街並みが広がる。もっと巨大な門を想像していたのだが、意外と小さい。通り抜ける車が窮屈そうだ。
Cimi9486b_tn  「廻れば大門の見返り柳いと長けれど…」はたけくらべの冒頭。その見返り柳が大門のそばに建つ。あちらは吉原の大門だから別物だけど、元々はこちらの大門に植わっていた柳を江戸に持っていって植えたという。

大門
 寛永16年(1641)に開設された島原は、当初堀と塀で囲まれ、東北角の大門(おおもん)のみであったが、享保17年(1732)に西の大門が設けられた。その後、東北角の大門は、明和3年(1766)に島原の中央を東西に位置する道筋(どうすじ)と呼ばれる道の東端である現在地に付け替えられた。
 当初の門については明らかではないが、享保14年(1729)には冠木門であったと考えられ、その後塀重門、さらに腕木門となった。嘉永7年(1854)の島原東半分の退化ではこの門も焼失した。大火後、簡易な冠木門で再建されたが、慶応3年(1867)には神社仏閣なみの本格的な高麗門として立て替えられた。これが現在の大門である。
 昭和61年(1986)に京都市登録有形文化財として登録された。
  文芸碑の碑文から

○輪違屋
Cimi9497b_tn Cimi9495b_tn  現在も営業している置屋。玄関には「観覧謝絶」の札がかけられている。観光用ではないという意味と、一見さんお断りという意味があるそうで。というか、置屋は芸妓さんの派遣元で一般の客は行かないはずだと思うCimi9503b_tn

輪違屋
 輪違屋は、太夫や芸妓をかかえていた由緒ある置屋で、元禄年間(1688-1704)に再建されたといわれるが、その後改築がなされて、明治4年(1871)にはほぼ現在の姿になっていた。
 平面構成は複雑だが大きく分ければ、一階南半分の居室部分と、一階北半分及び二階を占める客室部分からなる。客室は全部で十数室あり、なかでも二階の傘の間と紅葉の間が主要な座敷で、その襖や壁の斬新な意匠には目を見張るものがある。
 輪違屋は、建築的に質が高く、また最古の置屋の遺構として貴重であり、昭和59年6月1日に京都市有形文化財に指定された。
  京都市

○角屋
Cimi9515b_tn Cimi9514b_tn  こちらは揚屋。置屋から芸妓さんを呼んで宴会をするところ。お茶屋に相当するのだろうか。現在は営業しておらず、隣に「角屋もてなしの文化美術館」がある。

角屋
 角屋は江戸時代に反映した花街(かがい)・島原を代表する揚屋(あげや)(現在の料亭)で、明治時代にお茶屋業に編入された後も、昭和60年(1985)まで営業が続けられた。
 島原は、我が国最初の官許の花街で、当初は二条柳馬場に開かれ、その後、六条三筋町に移転し、更に寛永18年(1641)この地に移された。制式な地名は西新屋敷というが、急な移転騒動が、当時の九州で起こった島原の乱に似ていたことから、島原と呼ばれるようになった。
 島原には、揚屋(あげや)と置屋(おきや)があり、揚屋は太夫・芸妓などを一切抱えず、置屋から太夫等を呼んで宴会を催す場であった。
 角屋のの建物は、揚屋建築唯一の遺構として昭和27年(1952)に重要文化財に指定された。また、円山応挙・与謝野蕪村など、当時の一流画人の作品を多く蔵し、蕪村の大作「紅白梅図」は重要文化財に指定されている。
 江戸中期には、俳壇が形成されるなど文化サロンとしての役割も担い、また、幕末には西郷隆盛・久坂玄瑞(くさかげんずい)などの勤王の志士たちが、軍用金調達のために時の豪商を招いて会議を行い、彼等を探し求めた新撰組が乱舞した場所でもあった。
 こうした江戸時代の社交遊宴文化の余香を今につい逢える角屋は、現在「角屋もてなしの文化美術館」として一般に公開されている。
  京都市

 外観が格子造りになっていることに対して、『島原の角屋をはじめとする揚屋は、遊宴のみならず、和歌、俳諧の文芸の席やお茶の席があり、文化サロンとしての役割を果たしていました。従っていわゆる遊郭の店でなく、外観の格子造りも、京の近世初期の町家の形を遺しており、吉原の牢獄のような格子造りではありません。』という貼り紙がしてあった。新撰組の芹沢鴨はここで酔わされて屯所に帰った後、暗殺されたそうだ。

Cimi9565b_tn Cimi9563b_tn ○歌舞練場記念碑
 先斗町通に歌舞練場があるように、島原にも歌舞練場があった。今はなくなってしまってデイケアセンターになっているようだ。敷地に大榎があり、元々あった稲荷社の神木として祠が祭られていた。樹齢二百年の榎は樹高15m、幹周り2mで今も健在。

○島原西門、幸天満宮、島原住吉神社
Cimi9535b_tn Cimi9529b_tn  大門から伸びる通りを西に進むとまたクランクに折れ曲がってJR山陰本線の高架にぶつかる。その先は中央卸売市場だ。その手前にかつては西門が建っていた。近年まで健在だったのだが、昭和52年(1977)に輪禍によって全壊。3年後に門柱のみ復元されたが、平成10年(1998)再度の輪禍で倒壊。今は石碑が残るのみ。つくづく自動車には祟られているようだ。
Cimi9540b_tn Cimi9525b_tn  西門のそばに幸天満宮(さいわいてんまんぐう)と島原住吉神社。幸天満宮は島原住吉神社の境内にある。ここでは筑紫太宰府天満宮にならって、鷽替(うそかえ)の神事が営まれていたが、明治以降は廃れたそうだ。色紙や短冊を持ち寄って「鷽を替えん」と言いつつ取り交わしたらしい。
 本殿と舞殿(拝殿?)の狭間で島原住吉神社の狛犬は笑っているようだ。

Cimi9554b_tn Cimi9545b_tn ○大銀杏
 元々は島原住吉神社の境内にあったが、明治維新後の廃仏毀釈で社格株のない住吉神社が一旦廃社になり銀杏だけが残った。その後、明治36年(1903)に神社が再興されたけてど、元の境内の一部しか戻らなかったため、この木は外に取り残されてしまった。昭和5年(1930)に根元に弁財天が祀られて神木として崇められている。
Cimi9551b_tn Cimi9547b_tn  樹高20m、幹周り3.5m。樹齢三百年相当とされ、大榎を抜いて島原一の巨木。今は周りを家に囲まれてひっそりと静まりかえった狭い境内は苔生している。

2011年5月15日 (日)

葵祭2011

Cimi9399b_tn Cimi9396b_tn Cimi9378b_tn  葵祭は行列を何度かコンプリートしているので、今年の葵祭は近くでサクッと京都御所。堺町御門から出てくる所で見物。 

Cimi9394b_tn Cimi9393b_tn Cimi9390b_tn  警護やら使者やら男性が続いた後、女性が現れる。主役の斎王代は輿に乗って登場。「腰輿」と書いて「およよ」と呼ぶそうで。桂三枝か?

Cimi9377b_tn  堺町御門の向かい側の歩道にいるとやや遠い。4車線中2車線を規制するだけで車を通すので結構鬱陶しい。丸太町通から入る枝道は規制なしなので車が時々曲がってくる。そのたびに警官が注意を促す。車道に出てると排除するぞと脅したり、行列は東に進むからここは案外見えないそっちに行った方がよく見えるよとガイドしたり、慣れたもんだ。

きょうのハロ(空が狭い)

Cimi9406_stitchc_tn  葵祭の帰りに見上げた空にハロ。

2011年5月14日 (土)

きょうの桜の実(新町通)

Cimi9252b_tn  良い具合に色付いて。でも減ってる。

2011年5月13日 (金)

飛雲閣(西本願寺)

Cimi8393b_tn  西本願寺の飛雲閣と書院は普段は非公開。といっても年に1回か2回は一般公開されているし、申し込めば随時ガイド付きで拝観(見学?)できるそうだ。今年も2月に一般公開があったばかりなのだが親鸞聖人750回大遠忌法要の間公開されている。遠路はるばる法要にやってきた門徒の為に、ということなのだろう。大型バスを連ねて続々とやってくる団体がぞろぞろ連なって見学の列を作っていた。

Cimi9054b_tn  これまで何度もチャンスがあった割に行ってなかったので、これを機に見学。見学には参拝章が必要。「団体参拝用」というのは各教区からバスでやって来る信徒用。「一般参拝用」というのはそれ以外の人用ということらしい。一般参拝は無料だが、西本願寺の文化財の為に志納することが条件になる。

Cimi9052b_tn  書院の内部は薄暗く、明るく開放的な庭園とは対照的。岩絵具で描かれた襖絵や壁画が色褪せてしまっているが、できたての時はどんなに絢爛豪華だったろう。大遠忌にあわせて虎の襖絵が復元(複製?)されていたのがとてもリアルだった。欄間に彫られた雁の隙間から隣室の壁画の月が見えて月に雁だとか、天井いっぱいに描かれた書物を一匹の猫の絵が鼠から守っているとか、なかなかしゃれが効いている。

Cimi9053b_tn  飛雲閣も書院も内部は撮影禁止。書院は暗いのでフラッシュを焚く輩が現れそうで襖絵や壁画を傷めるからなんとなく判るのだが、飛雲閣は前庭から遠目に眺めるだけなので、撮影禁止なのは謎。一説には撮影を許すと立ち止まる人が増えて渋滞するかららしい。順路の至る所に「撮影禁止」の立て札が立ち、監視員が座っている。過去には一般公開ではない申し込んでガイド付きの見学をする時には撮影を許される場合もあったらしい。

Cimi9128b_tn Cimi9122b_tn  というわけで、画像はなし。だけど、飛雲閣は屋外にあるので出口や鐘楼越しにチラ見(チラ写?)は可能。左右非対称でアンバランスな美とか船で直接池から出入りできるとかは判らないけど、雰囲気だけ。
Cimi9091b_tn  お隣の興正寺の阿弥陀堂の縁側から飛雲閣の2階3階が見える。三十六歌仙が描かれている前面と違って後面は素の板張りで味気ない。風雪に枯れた板の味わいもいいけどさ。
 金閣、銀閣とあわせて三閣と言われる飛雲閣。聚楽第を移設したという説もある、国宝だそうで。確かに独特の美しさがある。やっぱ自分でカメラに納めたいよなぁCimi9149b_tn

 で、帰りに正面通を歩いていると、門前の町家な仏具店街越しに見えるモスク風の伝道院がアンバランスなマッチング。

きょうの黄砂(また来たの?)

Cimi9184b_tn Cimi9164b_tn Cimi9163b_tn  忘れた頃にやってくる。前回よりは薄いけど確かに霞んでいる。近くを見ても気付く程度には濃い。

2011年5月12日 (木)

きょうの休館(風俗博物館)

Cimi8744b_tn Cimi8742b_tn Cimi8741b_tn  先日、西本願寺のそばを歩いていると、「風俗博物館」なる看板というか掲示板の文字が目に入った。そんなものが博物館になるのか?!と目を疑った私の心は曇っているのだろう。畏れ多くも平安朝だか源氏物語だかの博物館らしい。

Cimi6300b_tn  博物館が入っている井筒法衣店、東西本願寺のまわりにある仏教関連の商店の一つのようだ。それは納得なのだが、近くにある井筒の名を冠したビルの中には金ぴかの御神輿がギッシリ詰まっていたりする。これはやや謎気味かも。

2011年5月11日 (水)

仁丹町名看板、復活と喪失(ジンタニアン)

 近所を歩いているとちょくちょく見かける仁丹の町名看板、以前コンプリートはしないよん宣言をしたが、気になったので調べてみると千枚以上あるらしい。今はだいぶ減って数百枚という話もあるがそれにしてもすごい数だ。やっぱりコンプリートはしません。

●復活編
 日々減っていく中で、復活プロジェクト(~戦後初第1号となる町名看板を京都の地に復活~ 『京都町名琺瑯看板』第1号を京都市役所に設置!(pdf))もあるそうで、今年に入って何枚か復活したという。近所にもできたようなのでお散歩がてら調査。

○下京区新町通綾小路下る船鉾町
Cimi8753b_tn
Cimi8756b_tn  船鉾の町会所の1階に掛かっている。
 区名が左書きになり、区が「區」から「区」に変わって、「下ル」が「下る」になっているのが平成の看板の特徴のようだ。仁丹将軍は看板の下に描かれている。

○中京区新町通四条上る小結棚町
Cimi9023b_tn  放下鉾の町会所の1階に掛かっている。
 こちらも左書き、新字体で「上る」という表記。
 旧来の仁丹町名看板は京都市の中心部に上京区と下京区しかなかった時代に作られたので「中京区」という表記は復活看板で初めて現れた区名だ。

Cimi8996b_tn ○中京区新町通錦小路上る百足屋町
 和菓子屋(おたべ)の2階に掛かっている。ここは南観音山の山鉾町だけど町会所ではなかったはず。
 左書き、新字体、ひらかなは同じ。

Cimi8998c_tn ○中京区新町通三条下る三条町
 八幡山の町会所の2階に掛かっている。
 「條」が「条」になっているのは他の復活看板と共通。
 左書き、新字体、ひらかなは同じ。 

Cimi9033c_tn ○中京区油小路通三条下る三条油小路町
 ここは山鉾町ではない。商店というか会社の2階に掛かっている。
 左書き、新字体、ひらかなは同じ。
 

○中京区三条通新町西入釜座町、中京区三条通西洞院東入釜座町
Cimi9038c_tn Cimi9028c_tn  仁丹町名看板の復活がアナウンスされた際、復活する町名だけが発表された。当然1町あたり1枚の看板が復活するのかと思っていたら、ここは2枚だった。他の町ももっと探せばあるのかも? 「三条通西洞院東入」の掛かっている場所が正確には「西洞院通三条下ル」なのはいいのか?
 左書き、新字体は同じだけど、「西入」「東入」は送らないので見た目変化なし。

○中京区六角町 
 ここも仁丹町名看板が復活したはずなのだが、発見できず。他の山鉾町同様、北観音山の町会所になる店にあるかと期待したのだが、なし。店の人に聞いてもないそうだ。まだ届いていないのかな?

○その他
 他に復活したのは上京区加賀屋町、上京区大黒町、中京区下樵木町、下京区東塩小路町、左京区銀閣寺町、中京区上本能寺前町の6町。
 東塩小路町ってJR京都駅なんですけど、どこにあるんでしょ? 他はついでに歩いて行くにはちと離れているのでまた今度。

●喪失編
 拾う神あれば捨てる神あり。
 いろんな先人達がWebで紹介してくれている仁丹町名看板の中には失われてしまったものがいくつもある。近所を歩いていて気が付いた今はなき看板。

○下京區油小路通花屋町下ル佛具屋町
Cimi6292b_tn  今年の4/4に見に行った時点で、なくなっていた。先人達のWebの画像によると「花屋町通油小路東入佛具屋町」の掛かっている柱の右奥の柱に掛かっていたらしい。釘だけ残っているのが如何にも残念。

○下京區花屋町通油小路東入佛具屋町
Cimi8928c_tn Cimi6294b_tn  4/4には残っていた「東入」の方の看板だが、5/9に通りかかると建物が解体中だった。まさに間一髪だったわけだ。「東入」の看板がどうなったのかは不明。持ち主が大事に保管して新しい建物に掛けてくれると嬉しいのだが。

○下京區楊梅通油小路西入ト味金佛町(ボクミカナブツチョウ)
Cimi8581b_tn  材木屋さんの壁に掛かっていたらしい。どうやら左手前の白黒の建物に建て替えられてそのまま復活していないようだ。GoogleMapのStreetViewに残っているのが哀しい。

○下京區北小路通若宮西入鍵屋町
Cimi8738c_tn  掛かっていた建物は健在なのだが、看板だけが忽然と姿を消している。ここも釘だけ残っているのが如何にも残念無念。
 
 
○下京區万壽寺通高倉西入万壽寺中之町
Cimi8830b_tn  駐車場の片隅に放置する感じで固定せずに立てかけられていたらしい。単に別の所に置かれているだけなのかも?
 

○下京區新町通楊梅上ル蛭子町
Cimi8897b_tn  元々何処にあったのか不明。あたりは新しい建物が多かったり、駐車場になったりしているのでその過程で失われたのかも。
 
●バリエーション編
 無数にある仁丹町名看板の中のいくつかのバリエーション。

○木製看板
Cimi8827b_tn Cimi8617b_tn Cimi2875c_tn  大半がホーロー製なんだが、中に数枚木製のものが残っている。
 私が見たのは「綾小路通新町西入上新釜座町」「新町通花屋町下ル東若松町」「高倉通松原下ル西入福田寺町」の三枚。

○仁丹将軍の上下
Cimi9009b_tn  近所にあるのは仁丹将軍が下にある看板ばかりなのだが、足を延ばすと仁丹将軍が上にある看板が見つかる。下京區だから下で上京區は上、ということではないらしい。

●可哀想な看板編
 明治、大正から昭和にかけて設置されたという仁丹町名看板。大半の市民より長生きなのかも。1枚1枚それぞれに苦難の歴史があったようで。

Cimi6085b_tn ○下京區…
 上から「下京区正面通東中筋西入柳町」のライオンズクラブが貼り付いて乗っ取られている。
 

Cimi6932b_tn ○下京區佛光寺通東洞院東入
 町名(たぶん「扇酒屋町」)部分がぶった切られている。折れちゃったのかわざと切ったのか? 切られないまでも、錆びて剥落している(因果は逆?)ものは多数見かける。

Cimi8889b_tn ○下京區醒ヶ井通五條上ル小泉町(たぶん)
 看板の前に看板。目隠し? ここまで露骨でなくとも、電線や樋、クーラーや後付の柵などが邪魔している場合も多い。 

●上ル、下ル、西入、東入
Cimi8926c_tn Cimi6143b_tn  京都に引っ越してきて転入届を出す時に区役所で聞いたら。「あがる」「さがる」にはカタカナの「ル」を送る。「にしいる」「ひがしいる」は送りがななし。と教わった。看板もその通り書いてある。

●密集地
Cimi8905b_tn  四つ角に最高8枚の看板が集まっても良さそうなものだけど、さすがにそういう所はお目に掛かっていない。ここは3枚。

 あと、気になるのが看板の取り付け場所。建物の2階に掛かっている場合が多い。案内標識としては1階にないと存在に気付かないだろう。1階に掛けると邪魔なのだろうか。最近は人気がでてきているらしいから盗難に遭うのを恐れているのかもしれない。だとしたら最近掛け替えたということになるのだがどうなんでしょ?

<追記>2011.05.11
 参考にさせて頂いた先人のWeb。

仁丹の町名看板をよすがに京めぐり
 藤田眞作さんのWeb。
 主に下京区の仁丹町名看板が紹介されています。看板の紹介だけではなく各地の由緒などの解説が楽しい。積極的に仁丹町名看板を探してみようかなと思うようになったのはこのWebのおかげです。地図が正確なので非常に役に立ちました。ただ、網羅されているわけではないので現地で新たな発見をすることも多いです。

京都仁丹マップ
 Googleで検索してたどり着きました。このページからは外へのリンクがないので、どなたのWebか不明です。
 GoogleMapに仁丹町名看板がプロットされています。大きな画像にリンクしてるので、背景もよく分かります。看板の種類(仁丹将軍の位置、材質)で色分けされているので判りやすい。やはり、完全に網羅されているわけではないのと、プロットされた位置が正しくないものもあるので、実際に訪ねるなら看板に書かれた住所から確認する必要があります。

【広告付き】町名表示看板
 T.MさんのWeb。
 仁丹町名看板だけじゃなくもっとたくさんのコレクションがあります。一覧できるので検索したりするのに便利でした。

京都ずんずん
 ずんずんさんのブログ。
 タイムリーな情報を頂きました。埋蔵仁丹町名看板のありかは謎のままです。

◇◆京都 非観光地ガイド◆◇
 てくすけさんのブログ。
 看板の分類が参考になります。仁丹以外の看板の記事も楽しい。

京都クルーズ・ブログ中京区釜座町(平成版)
 office34さんのブログ。
 釜座町の復活看板が2枚あることに気付いたのはここの記事のおかげです。

京都仁丹樂會平成の復活・仁丹町名表示板 「船鉾町」
 京都仁丹樂會さんのブログ。
 船鉾町に仁丹町名看板が復活していたのに気が付いたのはこの記事のおかげです。

2011年5月10日 (火)

薬局の攻防(新京極)

Cimi8248c_tn  新京極商店街の六角通を下がったあたりに薬局がある。時々10%引きチケットを配って安売りしている。今年に入ってその向かいに薬局が開業した。最初は同じ店の支店というか店舗拡張したのかと思っていたのだが、別の店だった。ファッション系の店が多い商店街で更に薬局?と思うのだが、化粧品も扱っているからやはりファッション系なのかもCimi8246b_tn

 新しく開業した店は時々突如「店内全品11%引き」セールを始める。するとすかさず、向かいの店は店頭で10%引きチケットを配り始める。因果は逆なのかもしれないが、鶏と卵。1%を競うせこくて露骨な生存競争だ。Cimi8247c_tn 10%引きチケットは一点限りなので、全品11%の方が圧倒的に強そう。最終的に結果が出ちゃうのだろうか? いすれそのうちどちらかの店を「きょうの閉店」に載せる事になったりする?

2011年5月 9日 (月)

きょうの桜の実(新町通)

Cimi8936b_tn Cimi8935b_tn  新町桜(仮称)。赤くなってきた。そろそろ鳥が集まってくる頃かな?

2011年5月 8日 (日)

菅大臣天満宮春期例祭2011(例祭)

 明けて今日は例祭当日。朝から行事があったけど今日もかいつまんで奉納狂言のみ。

Cimi8764b_tn Cimi8766b_tn  本殿が舞台になる。普段は金網がはまっていてよく分からない本殿の中が見通せる。狂言師一行はお祓いを受けた後、いきなり始まる。司会者とかは居ない。

Cimi8776b_tn Cimi8774b_tn  例年どおり演者は茂山千五郎社中ということなのだが、茂山姓の人はおらず。去年は茂山さんが何人か居たのに。
 表情豊かで声の通りが良く、さすが。舞台装置もなく、解説もない上に古風な言い回しなのだが、Cimi8784b_tn Cimi8779b_tn ト書きに当たる部分や心境を科白にして喋るので狂言は判りやすい。
 演目は三題で約一時間。壬生狂言と違って教訓じみた話はない。ひたすら笑うだけ。ひょっとしたら、 酌み取るべき教訓に私が気付いていないだけなのか?Cimi8788b_tn  落語か四コマ漫画を実演している感じだ。
 一通り演じ終わると1人残った演者が口上を述べて終了。

 

Cimi8815b_tn Cimi8817b_tn Cimi8813b_tn  今日も境内には屋台が出る。といってもたこ焼きと花屋だけだけど。残念乍ら、現金での買い物はできず、引換券が必要。天神智恵餅なるものを搗いて配るのだが、予め整理券が配られていてかなり早い者勝ち。どちらも準備していかなかったので恩恵に与れず。一見さんお断りか? お祭りとしてはかなり町内会的な催しだ。

2011年5月 7日 (土)

菅大臣天満宮春期例祭2011(宵宮祭)

Cimi8205b_tn Cimi8719b_tn Cimi8690c_tn  今年も菅大臣天満宮で例祭。今日は1日目、というか宵宮祭。
 朝から行事があったけどかいつまんで大護摩供養のみ。家にいる時に法螺貝の音がしていたから、近所を練り歩いていた模様。

Cimi8676b_tn Cimi8657b_tn Cimi8652b_tn  山伏は総本山聖護院門跡からお出ましの様子。山伏はお練りから戻ると、結界の外で人定尋問を受ける。勧進帳のノリで問答を繰り返しまごうことなき山伏であることを確認すると結界の中に入ることを許される。
Cimi8702b_tn Cimi8687b_tn Cimi8686b_tn  弓を四方(東西南北)と鬼門、真ん中に放ち、刀と斧で清め(?)、松明に点火し、祭文を読み、護摩木に点火。という定例の(正式な?)手順を踏む。のだが、その前に神職が祈祷する。なんとなく違和感。
 その後は念仏を唱えながら護摩木をつ次々に投入。火勢がすごい。火勢より煙がすごい。毎度のことだが風向きによって煙に巻かれる。帽子を被っていても煙の臭いが夜まで続く。

Cimi8728b_tn Cimi8477b_tn Cimi8697b_tn  菅原道真公生誕の地の神社とはいえ、境内は広くない。集まってくるのもご近所の住人ばかり(たぶん)で、長閑。普段飾り気のない手水の牛さんも今日ばかりはおしゃれ。

2011年5月 6日 (金)

左女牛井(醒ヶ井)

Cimi8464b_tn  油小路と堀川通の間を通る醒ヶ井通。一方通行の狭い道。六角通から始まって、途中堀川高校に遮られながらも南へ続き五条通で終わる。その先は隣の堀川通が戦時中に拡幅された時に吸収されてしまった。同じように堀川通と合体しながらも名前を乗っ取ってしまう油小路のたくましさとは対照的な控え目な通りだ。
Cimi6310b_tn  戦前からある住居看板には、五条通より南の楊梅通にも醒ヶ井通の名が残る。醒ヶ井通の名前の由来は沿道にあった左女牛井から来ているそうで、醒ヶ井通が無くなった五条通の南に佐女牛井町が残るのも同様か。「左女牛井」「佐女牛井」「醒ヶ井」みな「さめがい」。住居看板のフリガナが「サメグヰ」に見えるのは気のせいか?

左女牛井(さめがい)
Cimi8423b_tn  左女牛井は京の名水の一つで、源頼義がこの地に築いた源氏六条堀川邸内の井戸であったといわれている。村田珠光が将軍足利義政に献茶した際にこの水を汲み,千利休も愛用したという。第二次大戦中、堀川通の拡幅により消滅した。この井戸に因んで命名された醒泉小学校百周年記念事業として昭和44年に石碑を建てたそうだCimi8425b_tn
 碑文は次の通り。

源義経堀川御用水と伝えられ足利時代既に名あり元和二年在銘の井戸枠とも
第二次世界大戦に際し昭和二十年疏開の為撤去さる当学醒泉の名は之に由来する

○史菓左女牛井(橘屋
Cimi8407c_tn Cimi8400b_tn  油小路六条上ルにある和菓子屋さん。左女牛井に因んだ饅頭がある。栗入りの三笠饅頭だ。左女牛井は丸井戸だったそうなので、丸い饅頭を井戸に見立てたのだろうか。二つに割って食べてしまったのだが、上下に剥がせば井戸の風景を再現できたのかもCimi8341b_tn Cimi8397b_tn
 ここの桜餅は当然関西風の道明寺。なのだが、桜色ではなく、緑色。御衣黄なのか、葉桜なのか?
<追記>2011.05.10
 店の表の貼り紙には「葉桜餅」とありました。4月には「さくら餅」という貼り紙だったので、時期によって色が変わるのかも。だとしたら、芸が細かい。

醒ヶ井水(亀屋長良)
Cimi8461b_tn Cimi8462b_tn Cimi8466b_tn  四条醒ヶ井の角にある和菓子屋さんが店先に左女牛井を再現している。地下80mから汲み上げているそうだ。水質検査も実施していて飲用可。ここは丸井戸ではなく四角い井戸。

きょうの桜の実(新町通)

Cimi8438b_tn Cimi8437b_tn  晴れてる方が綺麗。まだ赤と言うよりはオレンジ、色付きが足りない。鳥がついばみにくるのはもうちょっと先かな。

ダノンジャパン館林工場(完全復活?)

 東日本大震災の影響も日常生活の範囲ではほぼなくなってきた。といっても、ミネラルウオーターは供給不足で1人1本の制限付き。それでもスーパーの商品棚から消えている事が多い。乳製品も購入数に制限はあるものの主な銘柄は戻ってきているようだ。そんな中で、震災以来消えてしまったのがダノンビオのドリンクタイプ。ヨーグルトタイプ(?)は操業再開後早々に復活したのだが、ドリンクタイプは完全に消えてしまっていた。
Cimi8433b_tn  それが昨日になってようやく出現。2ヶ月近いご無沙汰ですなぁ。これまでは朝食にヨーグルトタイプ(?)で代用していたので不便だった。飲み物を別途用意しなくて済むからドリンクタイプの方が楽珍。

 ドリンクタイプの蓋の銀紙の色がまた変わっていることに注目。最初、西日本で先行販売された時は銀紙は表面全面に白く塗装してあった。それが、全国販売され始めると塗装がなくなり銀色のまま。銀色だとぎらぎら光って蓋に印刷してある消費期限が読みにくかった。今度は表面を部分的に白く塗装している。試行錯誤しているつもりなんだろうか? ま、読みやすくなったからヨシとしよう。

2011年5月 5日 (木)

きょうのちまき(外郎か水仙か?)

Cimi8240b_tn  端午の節句。男の子はおろか子供がいないので本質的に関係ないのだが、この時期はちまきを食べないと気が済まない。関東にいた時はちまきを手に入れるのが一苦労で、あちこちの和菓子屋を回って探したものだ。行く店行く店「柏餅ならあるんだけどねぇ」と言われ続けた。関東は武家の風土で、次の葉が出るまで古い葉が残り葉を絶やさない柏の木が子孫繁栄の象徴として好まれ、その柏葉でくるんだ餅が縁起がいいとされて節句に食べる、と言う話が検索すると出てくる。ふ~ん。

Cimi7940b_tn Cimi7941b_tn Cimi7966b_tn  関西に戻ってきて、ちまき食べ放題!かと思ったら、そうでもない。季節限定のお菓子で、4/29~5/5とか、5/1からとか節句の直前にしか販売されない。製造数も少なくて、夕方には売り切れる店も出てくる始末。うかうかしていると食べ損ねてしまう。季節感もスピード勝負。

Cimi7975b_tn Cimi7974b_tn Cimi7970c_tn  今年は早々に錦市場のお餅屋さんのちまきをゲット!ここのちまきは何故かお札が付いている。というか、祇園祭の粽のノリ。有難いのか有難くないのか?

Cimi7983b_tn  そう、京都でちまきといえば祇園祭。玄関に取り付けて魔よけにする御守り(お札?)で食べられない。蘇民将来子孫也。でも、食べられる京都のちまきは葛でしょ?とチャット情報。そういや、何年か前にデパ地下で買ったちまきに葛のが入っていたな、っと。京都でもちまきといえば、しろの外郎で決まりなのだが、各店工夫を凝らしていて、青柳よろしくフレーバーなちまきも見かける。その一種かと思ったら、大昔からあるそうで。水仙ちまきなる名も付いている。元祖は川端道喜という店。残念乍ら、要予約でお値段も高級品なので手が出ません。私が以前買ったのはとらや製。
Cimi8223b_tn Cimi8219b_tn  今年も追加で買ってみた、とらやで。材料は葛と砂糖のみ。外郎ちまきと違って中は透明感、ぬちょっとした噛み心地の外郎に対して葛はぷりっと砕ける感じ。ちょっと甘みが強すぎたのが残念。Webの画像でみると、川端道喜製はもっと透明度が高いようだ。
 これに漉し餡を混ぜると羊羹ちまき、だそうな。もっとこってりするのかな?

Cimi7987c_tn  歩き回っているとあちこちの店でちまきが売られている。中には一枚笹なんてのも。錦市場のちまきは4枚の笹の葉でくるんであって食べるまでが大変。ちまきってそういうもんだけど。まるでコンビニのおにぎりの包装のようで、剥きながらいつも焦ってしまう。この店のは食べやすさを狙ったのだろうか?
Cimi7984c_tn  柏餅は漉し餡、味噌餡、白餡、くらいで余りバリエーションは考えたことない。と侮ってはいけない。道明寺の柏餅もあるんだな。関西風の柏餅は道明寺だと言う説もあるらしいけど、長年関西に住んでいた私も初めて見たぞ。桜餅を白くして桜葉ではなく柏葉でくるんだ感じ? 桜餅の東西対決ほどには根付いていないような気がする。

2011年5月 4日 (水)

きょうの開店(よしもと祇園花月)

 開店したのは昨日ですけど。

Cimi8309b_tn Cimi8298b_tn Cimi8297b_tn  新しく建てたのではなく、八坂神社の斜め向かい、祇園バス停の前、祇園会館の中の映画館を間借りしているそうだ。外観も祇園会館のままで新しいのは看板だけ。入り口も映画館然としたまま。
Cimi8300b_tn Cimi8304b_tn Cimi8299b_tn  中には芸人さんの幟と花輪が林立し、祝賀ムード。だけど、そのエリアには立入禁止。開場は17時半で、それまでは映画館モード。受付が開いていたので、Cimi8305c_tn 案内を乞うとパンフをくれた。けど、それだけ。当日券があるのかと尋ねると、判りませんって。今いるのは映画館の受付の人で、時間が来ると花月担当の人と交代するそうだ。完璧入居者モード。
 本格開業は7月下旬で、それまでは週末だけ開演するそうだ。

Cimi8286b_tn  元々は京都にも吉本興業の京都花月劇場があったけど、24年前に閉館。新京極商店街の中にあったのでとっても便利だっただろう。今は何だかよく分からない店がいっぱい入っている。モンベルの入り口にいるくまさんが愛嬌を振りまくのみ。

きょうの休業(曜日の感覚狂うよね)

Cimi8281b_tn Cimi8280c_tn  だいぶ前から貼ってあったんだけど、今日になって気が付いた。

きょうの紫陽花(小田原町通)

Cimi8274b_tn Cimi8271b_tn  葉っぱが開いてきた。\(^o^)/

きょうも黄砂(だいぶまし)

Cimi8270b_tn Cimi8268b_tn  まだ霞んでいるけど、昨日よりは薄くなったような。

2011年5月 3日 (火)

伏見稲荷大社稲荷祭還幸祭

Cimi5855b_tn Cimi4532b_tn  稲荷祭で御旅所に御神輿でお出ましになった神様、先日御旅所でお会いしたのだが、今日は伏見稲荷本社にお帰りになる。御旅所で儀式を行ったあと、あちこちお練りになりつつ伏見へ。祇園祭の還幸祭だと輿丁連が御神輿を担いで練るのだが、稲荷祭ではトラックに乗せて回る。さすがに伏見は遠いということか。

Cimi8257b_tn Cimi8252b_tn Cimi8251c_tn  買い物の帰りに烏丸通を下がっていると、松原通の交差点で警官が交通整理を始めた。還幸祭の行列が通るらしい。去年は行列を追いかけてコンプリートを試みたのだが、延々と長いので今年はさわりだけ。

Cimi8261c_tn Cimi8259b_tn  警官は信号機制御装置から釦を引っ張り出してカチカチ押して信号を切り替えていた。個々の信号機の色を勝手に変えるんじゃなく、色の遷移を1ステップずつ進めるだけなのかな。

きょうの桜の実(新町通)

Cimi8233b_tn Cimi8232b_tn  界隈で一番に咲き始める新町桜(仮称)は実が赤くなってきた。

きょうも黄砂

Cimi8235c_tn Cimi8229b_tn Cimi8227b_tn  あちこち霞んでます。

2011年5月 2日 (月)

伏見稲荷大社

Cimi8067c_tn Cimi8060b_tn Cimi8061_stitchc_tn  神様が御旅所にお出ましになっているのでお留守の筈の伏見稲荷大社。JRでも京阪でも駅前なのでアクセス至便。京阪の伏見稲荷駅はすっかり大社色に染まってしまっている。

Cimi8083b_tn Cimi8079b_tn  JR奈良線の稲荷駅から行くと表参道、京阪の伏見稲荷駅から行くと脇の神幸道から入ることになる。表参道の突き当たりに楼門が聳える。楼門をくぐると、舞殿...ではなく外拝殿というらしい。その奥に重文の本殿。お決まりのパターン。Cimi8088b_tn Cimi8086b_tn なのだが、本殿は1300年奉祝記念事業で修復工事中で、仮本殿でおまいりするようになっている。
 明日の還幸祭で神様が御旅所からお戻りになる予定。 

Cimi8107b_tn Cimi8104c_tn Cimi8098b_tn  本殿の奥に奥宮、更に奥に奥社奉拝所なるお社がある。その奥宮と奥社奉拝所の間にあるのが千本鳥居。ホントに千本あるのかどうかは不明。Cimi8172b_tn Cimi8173b_tn Cimi8109b_tn 行きと帰りの複線になっている。真っ直ぐだったり、カーブしていたり、朱色の遠近法の世界。人がいると見通せないので、人通りのなくなるのを待ってパチリ。鳥居の中も壮観だが、外も長大列車見ているよう。鳥居の建立年月を見ていると、結構新しい。木製なので傷みが早いのか?というか新陳代謝しているようだ。この前来たのは4年前なので、あの時からも既に代替わりした鳥居もある。

Cimi8147_stitchc_tn  奥社奉拝所を過ぎるとだんだん登りが多くなり、三ツ辻、四ツ辻と進むと殆どハイキングというか登山の様相。階段なので危険はないけど。その道も2/3くらいは林立する鳥居の中を進む。
 四ツ辻まで上ルと眼下に京都盆地の南の街並みが広がる。筈が、きょうは黄砂なのか霞んで見えない。この先、全社を回ると稲荷山一周コースになるのだが、眺望は開けておらず、ここが一番長めがよい。てっぺんの上社がある一ノ峰も樹木に覆われていてさっぱり。というのを前回経験したので、今回は四ツ辻でUターン。

Cimi8115b_tn Cimi8113b_tn  狐が神様のお使いということで、絵馬も狐。馬なのに...。皆思い思いの願い事を書いて奉納する。だけじゃなく、思い思いの顔に化粧を施す。いいのか?

Cimi8119b_tn Cimi8089b_tn  千本鳥居をはじめとして境内の参道に林立する鳥居は全部奉納されたもの。一体いくらするんだろう?概ね会社や法人の銘が彫ってあって個人ではとても手が届くものではない。それを案じてか、鳥居型の絵馬もある。絵馬だけじゃなく、Cimi8120b_tn Cimi8133b_tn Cimi8162b_tn 小さな鳥居も、奉納できるようになっている。人がくぐることはできないので、そのままお社のまわりに立てかけてある。こういうお社が境内の参道の脇に無数にあって、鳥居を抜けてもまた鳥居。朱色朱色の世界。

Cimi8190c_tn Cimi8076b_tn Cimi8072b_tn  伏見稲荷というとスズメの焼き鳥。稲作を守る神様として、稲を喰うスズメを懲らしめる為に焼いて喰うのだとか。国内でのスズメの捕獲は禁止されている(たぶん)ので今喰っているのは外国産らしい。猟期が11月~2月で、店で出すのは12月~4月まで。なので、今回食べたのはうずら。前回は4月だったからスズメを喰えたんだな。

Cimi8195b_tn Cimi8194b_tn Cimi8192b_tn  そして忘れてはならないのがおいなりさんこといなり寿司。麻の実(おのみ)が入っていてかむとプチプチ音がする。「昔懐かしい」と貼り紙がしてあったけど、懐かしいのか? 関東のいなり寿司のあげは辺に平行に二等分して四角い袋にする。関西のいなり寿司のあげは対角線で二等分して三角形の袋にする。筈なんだが、ここは辺に平行に四等分してあるぞ?!

きょうの桜とか(東山、菅大臣天満宮)

Cimi8004b_tn Cimi8002b_tn ○桜(東山)
 ここも枝垂れ桜はほぼ散り終わり、八重桜が満開を過ぎて散り始め。

○利休梅(東山)
Cimi7998c_tn Cimi8001b_tn  踊っているような花びらの真っ白い花。枝に下がっていた札には「利休梅」。「りきゅううめ」ではなく「りきゅうばい」らしい。バラ科ヤナギザクラ属で、バラ科サクラ属の梅とは親戚? 中国が原産で明治時代に日本に渡来したと言うから、利休は見ていない、筈。

○山吹(東山)
Cimi8017b_tn Cimi8013c_tn Cimi8011c_tn  色が鮮やかですな。一重のものしか知らなかったのだが、八重もある。八重と一重が同じ株に咲いているようなのだが、こういうのもありなのか?

○楓(東山)
Cimi8047c_tn Cimi8039c_tn Cimi8037c_tn  ここでも咲いている。と、よく見ると赤紫の地味な花に混じって黄緑色の板(?)を抱えた花もある。どうやら、地味なのが雄花、板付きが雌花で黄緑色のいたが種になる(ってことは雌蕊?)らしい。仁和寺のカエデには雌花がなかったような。ほんまかいな?

○桜(菅大臣天満宮)
Cimi8213c_tn Cimi8211b_tn Cimi8212b_tn  八重桜が散り始めというか盛んに散ってる。八重は花びらが多い分、落ち花びら(?)も華やか。ここでも花が丸ごと落ちているのは鳥がついばんだせいか?

Cimi8208b_tn Cimi8207b_tn Cimi8206b_tn ○松(菅大臣天満宮)
 花、だよねぇ。

きょうの黄砂

Cimi8148b_tn Cimi8010b_tn Cimi7989b_tn  黄砂襲来だそうで。四条高倉から見た東山が霞む。東山から見た花山天文台も霞む。稲荷山から見た伏見地峡(?)も霞む。まるで砂に埋もれているような。近所を歩いていても200mほど先の建物が霞んでいるのが判るくらい。
 東山から見た京都盆地も霞んでいたのだが、撮影できず残念。

2011年5月 1日 (日)

納涼床はじめました

Cimi7955b_tn Cimi7959b_tn  納涼床、以前は6月からだったと聞いたような気がするんだが、5月からに繰り上がったのはいつからだろう? 今年も今日から始まってる。けど、昼過ぎまで雨だったのでどうだろう?

 四条通~三条通の間の納涼床の玄関となる先斗町の看板は鴨川をどりに掛け替えられている。いよいよ夏の始まり? 八重桜が散り始めたばかりで実感無いけど。

きょうの開店(京都丸井)

 阪急百貨店河原町店の後釜。4/27には開店していたらしい。

Cimi7947_stitchc_tn 建物はそのままで、外装だけ変えている。格子戸をイメージしているのだろうか? 前任者同様ファッション中心の店らしいので、私的には関係ないかな。潰れた跡に同系統の店が入って成功するのだろうか?食料品も売ってると言うから、一度覗いてみても良いかな。

Cimi7961b_tn  丸井というと、自由が丘と蒲田で買い物したっけ。関東に行って最初に買った眼鏡は自由が丘の丸井だった。結構親切にしてもらった。寮を出る時にわけ分からずに丸井で買った掃除機は定価だった。世間知らずだったなぁ。

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