きょうのきょう(ちょっとだけユキダス)
大阪の雑誌なのに何故か西宮特集。
読むのはこれからだけど、西宮を離れて30年余り、記事の大半は私が西宮を離れてからの話のようで、懐かしいと言うより私が知らない西宮が載っているみたい。
付録の古地図は私が生まれるちょっと前。通った学校は載ってるなぁ。
四条通の地下には室町通から河原町通までの地下道が通っている。雨の日や暑い日寒い日には重宝する。
概ね真っ直ぐ平らなのだが、東洞院通の前後、みずほ銀行から大丸の間だけ道幅が半減し、小山を越える感じで床が盛り上がっている。通路の脇には銘板が埋めてある。
東側の入口、大丸横から見るとなだらかなスロープ。
通路の両側には鍵付きの鉄格子の扉まで付いている。もっとも、この扉が閉まっているのは見たこと無いけど。
頂上付近から西側を見ると下り勾配が一様ではなく、ギクシャクと下がって行く。天井の電灯の並び方で判るだろうか?
西側の入口にも鉄格子の扉。
ちょうど阪急烏丸駅の西側改札と東側改札の間でここだけ地下道の巾が半分になる感じ。狭くなる事情は判るんだが、なんで起伏があるのか?一説に依れば、東洞院通の下には下水道が通っていて、それを横切るのに乗り越えるように地下道が盛り上がっているのだとか。
だとしたら、鉄格子扉があるのは有事に破壊活動を阻止するため?この区間の両側に銘板があってわざわざ竣工日が残されているのは、地下道とは別に後からここだけ開通したとかの事情があるのだろうか?
もう今更だけど、今日で震災から20年。
当時関東在住だった私は、あの日の朝の6時前に西宮の実家からの電話で叩き起こされた。曰く「こっちは大地震。でも二人とも無事やから心配するな。詳しい事はテレビでもやってるやろからそれを見ろ。」と。寝起きで頭が回らない私は「うるさいなぁ。」と言って電話を切った記憶が。
その後、テレビを見てびっくりしたのは多くの人と同じだろう。
被害の様子がはっきり判ってきたのは当日の夜以降。翌日に救援物資を買い出して、実家に駆けつけたのは翌々日だった。資材を詰めたダンボール箱をカートに載せて東京駅から新幹線に乗る時には周りから浮いて我ながら異様だった姿も、京都止まりだった新幹線から在来線に乗り換えて梅田で阪急に乗る頃には周りにすっかり溶け込んでいたっけ。実家は阪神沿線だったが、震源地に近くて被害の大きかった阪神より山の手を走っていて損害が少なかった阪急の方が運転路線が長くて実家の近くまで運転していたのは皮肉だ。
京都駅にドクターイエローが居て、新聞社?にインタビューされたのも記憶に残っている。当時普及し始めた携帯電話が固定電話より繋がりやすかったのも確かだった。
震度7で揺られたらしいが、幸いにも実家の建物は無事で両親にも怪我はなく、電気以外のインフラが絶たれてはいるものの避難所に行かずに済んだ。あれで避難所入りする事になっていたら老親の寿命は確実に縮んでいただろう。
倒れた家具に埋もれていた両親を助けだしてくれたのはお隣さんだったし、隔週程度にしか帰れない私に代わって水を届けてくれたのはボランティアの方。私の職場では救援帰省の為の特別休暇をもらえたし、お見舞いも頂いた。直接間接にいろんな人に支えられていたな。
実家が一段落した頃に近くの避難所に無線機と携帯電話を持参してボランティアを申し出たのだが、「必要があったら声を掛けます」と言うことで登録するだけで終わってしまった。ボランティアも受け身ではなく積極的に自分からネタを見つけて動かないとだめだなと学んだ震災でもあった。
パソコン通信や当時勃興期だったInternetで情報を交換したのもモバイル通信の趣味を超えた重要性や実用性を肌で感じた始まりかもしれない。
実家からの帰り、梅田の街では震災前とまったく変わらず普通に人が往来している事や、関東の家に帰ってから、家の周りの建物がまっすぐ建っているのを見て、逆にめまいがするような違和感を覚えたりもした。
当時はロクなデジカメはなく、銀塩カメラしか手に入らなかった。しかもライフログなる考え方も知らず、震災の様子を記録する事など思いもよらなかった。その事にはたと気付いたのは実家が落ち着きかけてから。慌てて使い捨てカメラを手に入れて写したっけ。それでも生々しい被災現場にカメラを向けるのは憚られて、一番悲惨な風景は記録に残すことは出来なかった。
「阪神大震災以降、日本列島は活動期に入った」と言われて久しいが、他の直下型地震は勿論、今度は南海・東南海が現実味を帯びてきた。そうなったら今度も東日本大震災の比ではない位の被害に遭うのだろう。
被災した両親とも既に他界し、実家も引き払った今となっては普段思い出すこともないのだが、節目らしいので思い出し書きしておきます。
<追記>
西宮市が『阪神・淡路大震災20年誌』を発行しました。掲載されている震災直後の様子は私が見てきた光景とかなり重なります。pdf形式でDL出来るようになっています。
水星の次は彗星。と言う訳でもないのだが…。
彗星が来ているとは聞いていたけど、空が狭い我が家から見えるとは思ってなかった。チャットで教わった情報では我が家からほぼ唯一空が開けた南天高くに居るという。
昼間は晴れたり曇ったりしていた空が、夜になって晴れてきたのでトライ。意外と空高くに居るようで、窓から身体を斜めになって乗り出して観望。裸眼と言うか眼鏡では星が少ない。オリオンの胴体と隣のアルデバランが見えるだけ。ちっこい双眼鏡を通して見ると星が一気に増えて訳わかめ。洛中でも結構星が見えるものだ。
電柱に掩蔽されたり、薄雲が出てきたりと障害はいろいろあったが、なんとかそれらしいぼんやりとした光の濃い部分が見えたような気がする。(^_^;) コマだのテールだの言うレベルではない。色も不明。写真も私の機材では埒外。
見たような気がする観望は何年か前の水星観望の時と同じだ。曖昧。
彗星を見たのは何年ぶりかな?京都に来てから一度御所まで遠征して観望したのはいつだったか。
烏丸七条下ルにある七条警察署、統廃合で下京警察署に統合されて跡地を免許センターにする。建物も建て直すのでその際に発掘調査したら骨やら土器(陶器)や建物跡が出てきたと言うことで現地説明会。
テントの下に出土品の一部や発掘当時の写真が展示してある。
説明会では発掘担当の人がパネルを掲げながら発掘の様子を説明。
実際に遺構の中に入って身振り手振り。
説明会は2時間の予定だったが、説明と見学は1時間は一セットでそれが2回と言う構成だった。今日は雨が降ったり止んだりで足元が悪いので中にははいれませんとのこと。天気が良かったら中まで入れてもらえたのかな?
現地は烏丸七条の角に程近いが、平安時代も烏丸小路と七条大路の角にあたる。通りから少し奥まった場所で今の京町家で言う坪庭とかその奥の辺りに相当する位置にようだ。付近は昔から職人の町で通りから、職場、居室と続いた奥、倉庫だったり墓だったりする場所だったのだろうと。
出土品も雑多で、陶器や骨、墨、溶融した金属の塊、金箔、砥石などもあって、骨を入れた瓶を埋めて穴を陶器で充填した(?)跡だったり、金属加工や金細工など当時の工業製品を製作していた名残だったりいろいろ想像は尽きないようだ。
遺構も柱穴あり、井戸あり、溝あり、埋蔵穴と一貫して建物を特定できるようなまとまりはなく、小さな建物がいくつか建っていたということらしい。埋蔵穴には陶器(土師器)やその破片がみっしり埋まっていたとも。
平安京とはいえ遺構は平安時代ではなく、鎌倉時代後半から室町時代のもの。それ以前の痕跡はごく一部の遺構と遺物のみであとは地層を確認しただけということらしい。鎌倉時代前半から中葉にかけて整地してそれ以前の遺構が潰されてしまったのではないかと。当時にも宅地造成ってあったのねぇ。それが最大の驚きだったかも。
因みに、「本願寺前」というのは門前町ということではなく、「本願寺ができる以前」という意味だそうだ。
こちらは大和大路四条下ルにあるゑびす神社。
参道にあたる大和大路通はホコ天になって、屋台が並ぶ。
ここでも十日えびすやってます。
マグロを奉納するのは十日えびすの定番なんでしょうか?
商売繁盛で笹持って来い!と言うわけで、巫女さんにオーダーして福笹に思い思いの飾りを付けてもらいます。勿論言うまでも無いことですが、ベースとなる笹、各オプション品おのおの全て有償です。
福笹は巫女さんが神楽を舞って清めてから授与。
この御守りと言うか御札と言うか、特徴的。傘みたいだけど、畳めないのでこのまま持ち帰ります。
参道の店で買ったえびす焼。西宮のえびす焼は普通の大判焼だけど、こちらのえびす焼はホントにえびす様。
大雪は一昨日で終わったのかと思っていたら、昨日の方がもっと大雪で、一時は積雪22cmで歴代三位タイと約98年ぶりの大記録。朝まで残った雪も今日の方が多い。
昨日は金閣、銀閣と回ったので今日は清水寺。
奥の院から先が通行止めになっていたので意気消沈していたら、音羽の滝から逆行して子安塔に行ける事が判明。
清水寺の参道は坂道。雪道の登り降りは怖いなと思っていたら、沿道の商店の方達が総出で雪かき中。お陰で雪のない参道を安心して歩くことが出来ました。感謝。
金閣の次は銀閣寺。
二番手とあって出遅れ感。到着したのがお昼だから仕方ない。銀沙灘はきれいに雪を載せているが、向月台の雪は殆ど融け落ちてしまっている。
銀閣の屋根の雪も融けかけてる。錦鏡池を挟んで寄って見ると枯れた感じがいや増して味が出てくる。
展望所からの鳥瞰も庫裡の屋根の雪が融けかけ。
庭園を歩いていると風が吹くたびに茂みから雪が舞い落ちてくる。日差しに照らされてダイアモンドダスト的に空気が輝く。
去年の大雪の時も同じパターンだった。今度は銀閣寺を先に見ないとなぁ。
おまけ。銀閣寺道の哲学の道から眺める大文字は白抜き。
雪の京都のフルコース的には清水寺もあるのだけれど、時間切れ。と言うか、清水寺は工事中で、景観的にちょっと物足りないのよね。
元旦早々大雪。京都に移住して間無しの頃の大晦日にも大雪が降って「十年に一度の大雪」と言われていたけど、それに匹敵する位の大雪。毎年、一度や二度は雪が積もるのだが、ここまで積もるのは珍しい。そういえばあれは十年近く前だった。やはり十年に一度の大雪なのか、と思っていたら、中京区の測候所では16cmの積雪を観測したとかで、実に58年ぶりの記録だそうだ。我が家の周りでも優に10cm以上は積もっていたもんね。
昼に降り出した雪はあっと言う間に家々の屋根を白く染める。それでもしばらくは道路には積もろうとしなかったのに16時前になって急に激しく積もり始めて一面銀世界に。
街路樹に積もった雪は疑似樹氷状態で烏丸通では街路灯に照らされて花が咲いたように輝いている。
初詣に訪れた菅大臣天満宮も一面の雪。
参道の桜の樹に白い花が咲く。
傘に雪が積もってメロンパン状態。積もった雪が重かった。
亀山稲荷のバケツに積もった雪はドーナツみたいだ。